Want Love 4
〜help me〜





泥沼とか、そんな汚い例えは似合わない





そして自分がいつしかその泉に、




空に




手を伸ばす日が来るだろうなんて、思わないし




…思えなかった













   
「橘さん」


   その日、俺に1番最初に話しかけてきたのは…
   あのヤンキー4人組でもギャル2人組でも無くて、…迷惑委員長。
   …隣の席でまた読書をしていた柏滝大地、だった……


   
 「おはよう」

  
     …おはよう?
     俺はその言葉を、もう何年誰かの面に向かって言っていないのだろう。
     電話越しのあの人とだけ交わす言葉。…それが今、目の前に降り注ぐ。
     とても受け答えが出来ず、俺は柏滝に軽く頭を下げるだけで済ませ終わらせた。


  
 「よかった。遅かったから、休みかと思ったよ」


   空色の笑顔が俺を見つめている。
   …良かった?……俺が来て?

   前、誰かが言っていた。…工藤だったかな。
   …この学校には、俺がいて迷惑してる奴が腐るほどいると。
   その通りだと思った。俺がここに来て喜ぶ奴なんていないだろう。
   それなのに先公共はここへ来いと五月蠅い。…矛盾した世界。

   …だが今お前は… 俺の顔を見て、笑った?


   
「…別に…俺が来ようが休もうが、お前には関係無いだろう…?」
 
   「そんなことない。橘さんは俺の隣の席なんだから」



    だから…それが関係あるのか?
    そう言おうとしたら、また柏滝の眩しい笑顔にぶつかって何も言えなかった。
    …やはり恐るべしだな、この委員長…。苦手だ…。

 
  諦めて俺は自分の席に着く。
  同時彼は手に持っていた分厚い本を閉じ、身体をこちら側に向ける。
  隣の席という理由を付けて絶えず俺に話しかけてきた。
  物好きめ。不良と話すのがそんなに新鮮?皮肉を心の中で吐き続けたが、
  それとは真逆の姿が時々… 一生懸命に見えて、少し切なくなった…

  どうして?  …どうして俺になんか構うの。




     ―――――― 怪我、するよ…




 
  「昨日橘さん、帰っちゃっただろ?その後、先生がさ…」

   「あそこの席の女子いるだろ?その先輩に、あの子なんて言ったと思う?」

   「…で、橘さんがいないと、この辺一帯ゴミ散らかされてさぁ、」



   …くだらない話ばかりだったが、何故か俺は黙って聞き、時々頷く反応すら返していた…
   何故? いつもなら不必要としか思えないのに。…人との会話なんて。
   クズである人間との、会話なんて…柏滝、こいつも…どうせクズなはずなのに…

    こいつの笑顔が眩しいのは、何故?
    …空色の瞳が…眼鏡の奥で、光ってる。眩しい。 どうして―――?


 
  「橘さんも、何か話してよ?」

  
 「……え?」


   また1つ、話の区切りがついた時だった。
   …すっ、と柏滝が俺のことを指さす。 …何?俺から、話?


 
 「話って…?」

 
 「何か話題だってば。昨日帰ってどうしてた、とか」

  「別に…。…何も」

 
 「何でもいいんだって。俺ばっかり話してるのも何か…悪いし」


    話していて悪い、って、どういう意味。俺は目線を逸らした。

    耳は…今は正常だ。お前の声は苦痛では無いし、汚いとも思わない。
    だから放っておいても綺麗に脳味噌に染み込んでくるし、言葉も理解できる。
    外からの言葉を得るのは大したエネルギーを使うような行為でも無い。
    …故に、お前が話しているのを俺は黙って聞いていた。

    だが俺には…特に聞いて欲しい話なんて無い。…そんな明るい話題も。綺麗な言葉も。
    尊敬している歌手の詩が頭に浮かんだ。


       “貴方に聞かせられるような 綺麗な言葉が見あたらない”


    …でもあんなに幸せな歌ではなくて。
    今の俺はもっと、もっと、 汚くて醜い……


 
 「何か最近気になったこととかさ。あ、勉強とかは?」

 
   勉強、と言われ…どれだけ優等生な話題だ、と心で突っ込みを入れた。
   …あぁ、そうね。学級委員長様だもんな。やはり頭良いんだろ…?教えてあげようか、ッて意味か。
   とんだお節介だな。俺だってこんな外見でいながら、中学から成績推薦でココに上がってる。
   いつも俺に絡んでいるあの辺の馬鹿と同じじゃない。そんなに愚かじゃない。


 「あ、でも橘さん推薦入学だよね。頭イイか」


  ………何で知ってんの。俺は逸らしていた目をグリッと、隣の席の男に戻す。
  思わず顔を引きつらせた。心の声が聞こえるのか?いやそれともストーカーかコイツ?
  それとも何だ。…同じ中学だった?
  …それか俺が中学も海禄だと言うことを知ってか…?周りが噂してたとか?


 「推薦の時見たの覚えてるんだ。俺も推薦だったからさぁ」


  あぁ、そうか…そうだよな。頭良いんだもんな。コイツも推薦だろう…
  でも推薦貰ってる奴が必ずしも頭が良いとは限らない。
  特にこの学校の場合は。……金だけで入学してる不良も多数いるし。


  
 「別に…俺は推薦ッつっても、英文科だ。…他は並だよ」

   「英文科?そうだったんだ。じゃあ…2年からは英文科コースに?」

  
 「さぁ。…生きてるかどうかも分からないし」

   「なんだ、それ」



    柏滝は、俺のそんな返事にすら笑ってくれた。
    ―――どっちが変な奴なのか分かんねェな、これじゃ。


 
 「他に何かある?」


    …何。今の、話題にされたワケ?
    俺はまんまとコイツの口車に乗せられて会話を楽しんでた、って?
    尚俺を見てニコリと笑っている柏滝大地。俺は再び、目線を逸らした。

    ―――あぁ。…あの4人組が俺らを見てる。ギャル2人が耳打ちしあってる。
    何か言ってる。……ウザイな。茶化しにくるだろう、そのうち…


 
 「橘さん?」


   気付かねェのかな、お前は。 
   あそこで馬鹿不良達が笑ってることを。そのうち引っかけられる事を…
   かといって俺もここからコイツをいきなり無視する事は、出来るようで出来なかった…。
   さっきまで相づちまで打ってたのに。いきなり空気を断ち切るような。


 「どうかした?」


    …人が考えてることも知らねぇで…気楽で羨ましい。
    俺は少し考えてから、ふと頭の中に浮かんだ疑問を…投げかけた。


 「なぁ、お前…さ…」
  
 「うん?」



     あまり嬉しそうに聞かないでくれ…
     分からないのか?…今お前、また狙いの的にされてんだよ。
  

 
 「俺のこと、怖くないの」

 
 「…え?」


    俺はそっと足を組み、目線だけでは無く顔も逸らした……
    あまり自分の口から言いたかった言葉じゃなかった。じゃあ何で、言った?

  
  
「普通お前みたいな優等生は、大抵俺の事怖がって俺に近寄ってきたりしねェよ」

 
 「―――……」

  「何に興味があるの。…俺の歪んだ人生?」

 
    柏滝は、じっ…と、俺の事を見てた。―――気がする。
    俺が柏滝を見てないから分からないけど。

    だが無言後、ちらりと…相手を盗み見してみると、見事に目が合った。
    柏滝の綺麗な空色は、俺の血の瞳を見てそっと呟く。


    
 「本当はもっとずっと前から、話しかけたかったよ…。でも、やっぱり恐かった、かな…」
  

    …じゃあ何故、話しかけた。
    自分から面倒事に首突っ込んでるんだよ、気付いている?
    お前の行為は「自殺行為」って言って、自分の首にロープを巻いている状態。
    今度はそう忠告してやろうと思った。…だが柏滝の口の方が早く開いてしまう。


   
 「でもな、昨日話すきっかけが出来て…ほら、今だって話してるだろ? 
     そしたら分かった。やっぱり橘さんは、普通の女の子と変わらないと思う」



           俺が?   普通の女?



  
 「…嘘が下手だな」

   「嘘じゃない、本当だよ。橘さんは普通だ」

  
 「異質だよ」
  

   「そんなことないよ、わりと素直だし」

  
 「素直?こんな格好でか」

   「格好って何だよ」

  
 「不良の格好」

   「不良の格好してたって普通は普通だよ」

  
 「でもお前とは違う」

   「でも同じ人間だろ」

  
 「……イヤ人間じゃねぇとは言ってねぇよ…」
 
   「あれ、そうか、ゴメン

 
      ヘンなの、こいつ。
      ちょっと、おかしくて…



   
「あ、笑った」
 

    
 「―――、え?」




    柏滝の顔が、一層嬉しそうになった。
    ―――?、笑った?

    …誰が?

  

     
 
 「今、橘さん笑っただろ?普通に「くすっ」って」
  
  

       ……笑った?……俺が?    そんな馬鹿な。



  
 「笑ってねぇよ…」
    
  
 「いや、絶対笑った。可愛かったよ

   「…―――、」



   かぁ、と、耳が熱くなった。  何だ、これ―――? この感情は、何だ。

   本当に嘘が下手な男。急に脳味噌に染み込む言葉を拒絶したくなった。
   「可愛い」なんて…そんな、女に言う言葉…俺には言わないで。
   俺は可愛くなんかない。…何で俺は女なんだろう。
   何故こんなにも弱いんだ…!!


   
 「馬鹿らしい…」
  

   その場にいられなくなって立ち上がった。屋上だ…逃げよう。
   そうすればあの4人組からもギャルからも、目の前の空色からも逃げられる…。


   
 「橘さん?どこ行くの?」


     もうすぐHRが始まるよ、と、優等生は教科書を机から取り出した。
     …これだから、俺とお前は違うんだ。


  
 「屋上。どーせ1時間目リードだし…英語は受けなたってイイ」

  
 「え?」
 

     柏滝が、「なんで?」という目で俺を見る。
     …今の言葉に理由なんて無いのを知っていて聞いているのか?嫌な奴。
     俺は少し目を伏しながら、言い訳を考えた。


  
 「……得意教科」


     だが柏滝は「しかし、」という顔をしてる…。
     事実、英語なんてテストの点数さえ取れてりゃ単位なんてギリギリで良い。
     公式や史実のある数学歴史と違って、ただ喋れりゃ良いんだから。
     耳に入る言葉を理解すれば良いだけなんだから。

     だが今俺は、耳に入れたくない雑音が近付いてくるのを感じてる。
     なぁ、分かれよ。…俺が此処から離れたい本当の理由。

    
 
  「でも…単位とかあるだろ?」

   「余計なお世話だ」



     俺が席から立ち上がると、待ちかまえていたように動いた影がある。
     …さっきっから俺達の遣り取りを遠くからニヤニヤ見つめていたあの4人組が、
     ようやくと言わんばかりにやってきた。…逃げ遅れた。……面倒くさいな…

   
 
 「おっと、待てよ。橘ァ、今日は屋上に逃げるのかなぁ?」
  
 
 「…どけ」

  「お〜、こえ〜」



     ゲラゲラと、下品な笑い声が教室に響く。
     話すだけで喉の奥の気道が詰まる感覚――― 呼吸困難の予感。
     俺は大きく肺に酸素を入れながら、そのままそいつらを避けて教室を出ようとした。

     が、


 
 「あれ、柏滝君〜、愛しの橘さんは屋上に行っちゃうぜ?」

  「今日は追わなくてい〜のかなぁ〜?」



    ―――奴らは面白がって柏滝にも手を出すようになったらしい。
    耳の先端がキュッと痛みを訴え、俺の右脚に強制的なブレーキがかかった。
    この様子じゃ…昨日俺が帰った後もこうだったんだろう… やっかいだ…

    ガタン、と、音をたてて柏滝が立ち上がったのが伺える。
    …馬鹿か。何でお前はそう、いちいち面倒事を増やそうとするんだ…


    無関係のクセに



 
 「みっともないからいちいち大声で話さないでくれ…」


     大人しそうな外見からは考えにくい、柏滝の唇から皮肉の言葉が出た。
     俺はそれを聞いて、更に教室から出られない状態になる。
     否、全て放棄してこの場を去って逃げることだって可能なのに…

     何故か―――… 傷付けられるのを放置できない…

                              
                                                          
柏滝が傷付くのを?


              なんで?   無関係なのに?



     ギャハハハと、男共の下品な笑いが今日も柏滝に向けて飛んでいる…
     それがナイフに見えて、何時もは俺の肌を斬っているはずなのに―――
     空色の瞳の委員長の頬を斬るように切っ先が飛んで行く。

     どうして   どうして…!!
     どうしてお前が傷付けられなきゃならないんだ どうして   どうして   俺の せい   で  !!!



  
 「みっともない、だとよ!!どこのジジィだよ、テメェは!」

   「ホンットだぜ柏滝、テメェに言われたくねぇ〜」

   「よりによって橘だぜ、橘!優等生と極道。っははっ、傑作じゃねェ!?」

   「ヤリマンに惚れちまったんだもんなぁ。ヤッてもらえば〜?タダで」



    …誰が極道。俺は今日も再び、スカートの下に手を伸ばした。
    ―――今日こそ本当に出してやろうか。

    お前等がいつも俺に突き付けている刃物とは違う、



         本当に真っ赤な血が流れる…  凶器を。




  
 「黙れよ、彼女はお前達なんかよりもずっと綺麗だ。見れば分かる!」



        ――――――……



  
 「ぶっはははははッ!!」

   「あっはっはっは!!!聞い…聞いたかァおい!?」

   「ハハハハハッ!!!」




       ナイフへ近づいた手が、また、止まった……


       ……なんて言った?
       今、 空色の瞳の男は……   何と、言った?


       俺は、目の前で繰り広げられる障壁の隙間を縫う様にしながら、
       まるで快晴が宿る様なその瞳を見つめた。

       周りの汚い男達の姿は、フィルターが掛かったように排除されてる。
       真っ直ぐに揺らがない優等生の姿だけが、しっかりとこの目に映った。

       ―――…雑音の奥で、…強い空色が……俺を、……見てる…


                              
    俺が―――… 綺麗な……人間?

    それは違う、…違うよ、柏滝……
    俺は汚れてる。
    身体も、心も、……流れる血も……



 
 「つまりだ、柏滝お前、橘の信者だ?ハハッ!」

  「橘さん何時の間に宗教開いたんですかァ?こえーッ」

  「ヤリマン宗教?」

  「ひゃはは!!」



      
ガタッ!!!!!


  
「…!!」

  
「…んだよ。ああ?」


    キャアッ、と、教室の奥から女子生徒の悲鳴が飛んだ。
    ハッと俺は…凍り付いていた視線を泳がせる。

    何をしてる…!?

    思わず唇が半開きになっていた。
    俺を見つめてくれていた空は一瞬にして消え、冷たい温度がそこには残る。

 
    柏滝大地が、目の前の男… 金髪のヤンキーの胸ぐらを掴み上げ、血相を変えた顔をしていた……



  
「んだよ。殴ろうってか?あ?マジウゼェな…」

 
 「撤回しろ」

  「はぁ?何をだよ」

 
 「橘さんはお前達なんかよりも綺麗な人間だ!」

  「ほ〜。何だぁ?じゃあ俺達は「ヤリマン以上に汚い人間」だとでも言いてーのかよ。あぁ?」



      胸ぐらを掴まれている金髪ので部よりも、明らかに柏滝の表情の方が苦を含んでいた。
      畜生が…もう、やめろ…!!何でそこまでする。何で傷付こうとする!!
      何で!! 何で何で何で…!!  何で俺に関わって 皆 傷付く!!!!!


      気付いた時、俺は3人の男共をかき分けて、1番奥の金髪と空色に手を伸ばした――――――




  
 「あ、あ。そうだ!!!」



          ――――――馬鹿!!



  
 「なめてんじゃねーぞ柏滝ぃ!!!」



           ガッ!!  と、男の拳が柏滝の顎に当たった……



   
 「がっ、はっ……!!!」



         きゃぁぁぁ、と、今度は大声で叫び声が上がる。



   
 「柏滝君!!」
 
    
「大地!おい!!」

 
         一斉に、クラスメイトが飛ばされた柏滝の辺りに集まる…。
         数名の男子生徒が、倒された彼の身体を支えて起こした。
         つぅ、と…細く一筋… 俺の瞳のような色の血が、彼の唇の端から流れてる。



   
 「ウゼェ…」

    「オイオイ、ヤバくね?教室で殴ったら」
 
    「知るかよ、そっちが先に俺のYシャツ掴んだんだぜ?喧嘩上等ってこったろ??」

    「うっわ、池田お前ヤベー、停学になるよぉ?ハハッ」


    「知るかよ、ウッゼェー」



      人を殴っておいて人のせいか。
      俺はテメェらの喧嘩を買う時も流す時も、絶対に自分に非が掛かることを覚悟している。
      事後には何をされたって誰も助けに来ないし、助かろうとも思わない…

      だからその前に、 関わらないようにして、何も… 何も、自分に傷が付かないように
      逃げられなくなる前に 逃げて、逃げて、逃げてきてた―――…


      ざわざわと、クラスの連中がその4人組と、柏滝と、  …俺を、見ている。
    

 
 「―――……」


      ―――何? また、俺のせい……?
      急に身体が動かなくなった。 


      支えられ起こされてる柏滝は、グッ…と、顎の辺りを手で押さえた。
      左手に血が滲みYシャツの袖が薄く朱色になる…




           俺 の     せい?




   
      1度金髪の男がこちらを見て、ニヤリと笑んだのに気付いた…




      
「―――ッ…ざけ……がって…」


  

    ふざけやがって… 弱い奴にしか楯突くことが出来ないくせに…!!
    都合が悪くならぬよう言い訳ばかりを付けて、それで喧嘩してるくせに…!!
    馬鹿の1つ覚えみてぇに回避しながら、自分が強いと言い張るだけの単細胞のくせに!!!



                ふざけやがって!!!




    俺はスカートの下に手を伸ばし、スラリとナイフを抜いた。 

    そいつの首を切ってやろうと走りだした――――――…!




     殺したってかまわねぇ!



                                                        
 誰か、 俺を    …



  
         頭の中が真っ白だ。

              今俺は、何をしている?




                                                              
 泣いている





      そんなこと、





       
「橘さん!!!!!」


       
「っ、」
 



    俺は勢い良く金髪の男の胸ぐらを掴んだ。
    俺よりも2倍は体重のありそうなその身体が、グラリと傾くほどの力で。
    驚いたその間抜け面を見ながらナイフを喉に突きつけた瞬間… だった…

    …柏滝の声が、俺を呼んだ。
    俺の形相に驚愕し、男は思わず震え出しそうなくらい青ざめて、いる…。



    
 「な、に…してるんだ…! 駄目だ、君が……」


    
        嫌だ。…退くもんか、
        別に俺はどうなったって構いやしないんだ                        
                                                              
 良くないよ
        俺が傷ついて、痛みを得るのは俺だけだ
        だから俺は逃げていた 


        誰かを巻き添えにする事も出来ず自分しか傷付けないのだから、
        逃げていた


        心配する奴だっていないこの哀しさから…

        でも、   でも…!!




   
 「うるせぇ、テメェは黙ってろ…!」
 
   
 「橘さん!!」

    「うるせぇ!!!!」

   
 「何をやっている!!!」


         ―――――!!!



    ガラッ、と、大きな音を立てて教室のドアが開いた。
    …担任…と、もう1人男…(多分隣のクラスの担任か何かなんだろう)が教室に入って来た…。
 

  
 「騒がしいぞ、何をやっている!?」


    4人の男共は、へっ、と笑いを飛ばして俺の方を指さした。
    もちろん馬鹿なりに、今俺がこの男の胸ぐらを掴んでいる、という状況まで利用して。


  
 「五島せんせ、橘さんがいきなり委員長の事殴りましたよ」
             
   
「!!」

                                                   
 違う―――…!


   
 「なんッ……橘っ!!!!」



    先公は余程俺が気に入らないらしい…。
    顔に「嘘です」と書いてあるその男共の言うことを、あっさりと信じた。 

    まぁ、この状況…
    俺が、人の胸ぐら掴んでナイフまで突きつけてる現状を見れば……
    誰がどう見ても、悪人は俺か……


   
 「お前!!…本当にいい加減にしろ!!…退学処分にでもなりたいのか!!!」

    「五島先生、押さえて!早く!」


     勢いで、両腕を掴まれナイフを取り上げられる。早くしまってしまえば良かったのに。
     …真っ白だった意識が戻りかけた時に気付き、全てが…遅かった。
 

  
 「……」


     ザワザワと、クラスの奴らは…俺と、4人の男と、先公とを見ていた…。

     誰も何も言わねェ…。 柏滝大地を殴ったのは俺じゃないって……
     あの男共が言ったことは嘘だって分かってんのに…ちゃんとその眼で見てんのに…


      皆自分が傷付くのを怖れている。
      皆自分に防御壁を立て掛けて、無関係を装ってる。

      …何も言わねェんだな。


      それとも 何?
      俺がこのクラスから消えて欲しいからって…全員で仕組んでんのか?              
イヤダ
 

       ふーん  そっか…                                               
 タスケ テ


  
 「橘!今すぐ職員室に来なさい!!」                                   タス  ケテ   


     分かってる…いいよ、俺が居なくなればいいんだ。                     
 タスケ テ        
     …アイツ…工藤、那美の言う通りなんだ。
                                                             
ダレカタスケテ
     俺が消えた方が、全てが早い…

                                                            
 ニイ  サン タスケ  テ
   2人の先公に腕を引っ張られて、俺は教室を出る…



      ごめんな、柏滝。 迷惑かけて。



        だからもう、俺になんか……    関わらないで…




                                                     
 タ ス ケ テ
                                                            
 タスケテ
   
             

   
 「先、生!」


    
「ん?」



  

    教室から右足が出た時だった。
    …柏滝の声が… 聞こえた。

    声だけでアイツだと分かる俺の耳は、どうかしたのだろうか。
    ―――たった昨日、ついさっき、少し話したくらいの時間で… 

    何故、憶えてしまった?

 
      彼の声が何を言うのか 怖いようであり、救いのように思えた。
                                                                 
助けて
      それでも余計な事するんじゃねェよと…全てを拒否しようと鍵を掛ける。
      またお前が損をするだけだ、怪我をするだけだ、俺のせいで、俺のせいで、
      俺のせいでお前が…また傷付いて、 1人、俺の前から消えてゆく――― だけ…                     
 助けて…
    


  「先生、違います…橘さんは、何も…何もしてません…!!」




                                    
 柏滝、助けて…  




    口元の血を拭って、柏滝はゆっくりと起きあがった…
    まだ周りの奴らが柏滝を支えてる。でも、言葉を支えようとはしない…
    それが酷く正しく見えるのに、どうして… どうして… お前は―――…


 
 「俺を殴ったのは、池田、…クンです。…彼女は何も悪くありません…!」


    金髪の男を指さす柏滝。
    そいつは嫌そうな顔をしたが、あくまで「やっていません」の下手な演技を続けてる。


  
「……?」

  
    先公は未だ俺を悪と疑いつつも、優等生、学級委員長の言葉を
    「嘘だ」とは言いきれなかったようだ…。
    じっと柏滝の目を見てから、金髪の…柏滝を殴ったあの男の事を見る。
    そして俺の腕を掴んだまま、そのまま…俺に問うてきた。


  
「…橘。…柏滝の言っていることは本当か?」

  
      先公は俺の目だけは見ようとしない…。
      目も合わせたくないってか?…前にあんな狭い部屋で、マンツーマンしたくせに。
      上等だよ。 俺だってお前の目なんか、見ていたくない…


         さっき見ていた 快晴が、   穢れてしまう…



   
「いいや。嘘だ」
     


        少し、クラスがざわめいた。
        何だよお前ら。今まで黙って見過ごしてきてたくせに。
        これくらいのことでざわめくの? 偽善者だね…


   
 「橘さん!!!、」

   
 「柏滝、黙っていなさい」
 
 
        先公は、優秀生の味方しかしない。 
        俺は不良を飾っていれば…それでお前の都合に合うんだろう?



  
 「あの委員長はクラスの雰囲気を保ちたいだけじゃないの?殴ったのは俺だ」
 



             
  バチンッ!!!!




  ざわめく教室が、一瞬で静かになる。 
  それくらい、大きな音がした……
     

  先公に叩かれた頬が、無数の棘に刺された様な痛みを纏う。                       
 泣くな
  けれど… その痛みを声に出そうとは思わない。                         
 どうして ?




        俺は弱くない。    …強いから。

                                               
 泣いたところで誰も俺に 手を差し伸べやしないから。





  「何を偉そうな口を利いている!こっちへ来なさい!!!」





      先公に引っ張られて、俺は職員室へ歩いた…。
  
      その際見えたのは…あの男4人の「馬鹿な女」と言わんばかりの笑い顔。
      それと、クラスの男女問わずのいい子ちゃん達の痛い視線。


      そして…柏滝の…「何故?」という…空色の、瞳。





      胸の底の隅の方で、小さく ありがとう、と呟く。



     でも俺に…「守る」という言葉はあっちゃイケナイんだよ…
     俺に許された言葉は、「独り」


      誰かに悲しまれるのも、同情されるのも、似合わないし許されない…




         

      指導室や職員室を通り越し、校長室で説教を受ける羽目になった。
      そして、3日間の停学処分を言い渡される…。
      たったの3日でいいわけ?どうせなら退学にでもしてくれれば良かったのに。
      心の中で毒突きながら、浅く「すみませんでした」と口だけの謝罪をして反省した振りをする。

      普通ならば暴力沙汰として、彼…柏滝の両親が出てきてもおかしくないと、
      それくらいは俺でも分かっていた。面倒事も言い訳せず受ける気でいた。
      …が、柏滝本人の言い分で、彼の保護者が学校に呼ばれる…という事は無くなった。

      一体何度、俺にお節介をすれば気が済むのかな迷惑優等生は。
      そう思いながら、事実上俺は3日間の自由を得たのだと思考を裏返した。
      何だ、結構ラッキーなんじゃないか、と。                                    泣くな…… 泣くな、

      しかしナイフを取り上げられたのは痛いと思った。
      スカートの下、太股に重みが無くなり友を失った感覚にさえ感じる。
      …新しいの、買いに行こう……

                                                              


      授業中の静かな教室に戻り、自分の机から鞄をひったくるように取る。
      帰宅処分なのか、停学処分なのかも知らない筈なのに。
      ギャル共が、「帰っておつとめですか〜」と、小さくクスクス笑っている。
      睨みを利かせるのも面倒で、俺は何も言わずに教室を出た。
      授業をしていた先公に黒板前から「オイ橘、」と呼ばれたが、シカトする。


      そのまま下校しようと、昇降口へ早足で向かった。
           
      …その時だった。
      2年の昇降口に、あの、屋上に縄張ってる…青い髪を1本に束ねた不良が、いた…

      ……帰るみたいだ。 こんな時間に?
      何?もしかして、お前も停学処分でも喰らったの。



           1回話してみたいかもしれない。
           気が合うかもな…。なんて。
 

           不良だろ?





           
       家に帰るや否や、突如玄関で足元が崩れた。
       …身体が震えだした。
       そして、その震えが止まらなくなった…。



        何かの病気じゃないかと思うくらいに。
        痛くて、寒くて、苦しくて―――

        自分でも信じられないくらい…
   

        身体がガクガクと、震える…





                何故?          
        
         
 

        
 「 兄 …さ   、」



                                                        
 柏滝…
  









 

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