Want Love 2
〜血滴る紅〜







痛い―――…


痛いよ……助けて、兄さん……



熱い…怖い…痛い…




もう、やめて…


やめて






おかあさん



おかあさん……








  時々、懐かしいビジョンを見ることがある。
  でも見なかったフリをする。脳裏の視界から逃げ出し、必至に呼吸をする。

  …思い出したくないから。真っ赤な闇が、俺を襲うから。




  4月20日、朝… 高校に入学してようやく2週間が終わった。
  まだ2週間なのか。……毎日が長いな何か。

  時間はいつも変わらず24時間を正確に動いているのに、
  時計の秒針は変わらず俺を老いさせてくれているはずなのに、
  どうも中学時代よりも時間の流れを遅く感じる。
  普通歳を取ると時間が経つの早い、って言うのにな。


  理由は大体分かっている。
  毎日クラスの野郎かセンパイかに目ェ付けられては喧嘩売られて、
  お決まりコースのようにその後先公に呼び出されて怒鳴られる―――

  遅くもなる。 こんなくだらねェ毎日じゃ。…そうもなる。



   腰まで伸びたキャラメル色の髪の毛をかき上げ、ベッドから起きあがった。
   毛先で指が止まってしまい、ああ…と 昨日風呂に入っていないことを思い出す。

   生温い床に足の裏が張り付き、心地悪さが気怠さを倍増させた。
   六時半か。眠いな。…朝は苦手だ。昔から低血圧の身体は変われない。
   でもやっぱりシャワーだけでも浴びたいと思った。
   …昨日は遅くまで出歩いていたから汗もかいてたはずだ。
   この通り髪の毛もキシキシしているし、こんなんじゃ外も歩けない…。

   …俺だって結局は女の子だから、身だしなみくらいはちゃんとしてたい、って思うんだよ。
   数日間風呂にも入らない家にも帰らないギャルだと思われたくないんだよ。
   …別に「可愛い」とか「美人」とか思われたいという願望からじゃなくて。
   ―――常識として。…とか、こんな非常識な女子高生が何言ってんだろうな。
   
   そんな下らない事を考えながら、シャワーを浴びた…。


 
 「―――…なんなんだかね…」


   風呂場には、少し大きめの鏡がある。元々アパートの付属品だ。
   嫌でも自分の裸を見つめねばならないのが気に入らなくて、
   幾度と無く剥がそうと試みたが、成功する余地は無い…

   其処に映る自分の姿に、何故か言葉を投げつけた。
   …いつの間にか伸びた身長、食っても食っても太らない手足、女らしく膨らんだ胸。
   風呂場の鏡に映った自分の姿は、いつの間にかこんなに成長している。

   でも、ガキの頃から何1つとして変わらない……この、瞳。



    紅色の目―――

    まるで血に滴った石のような  …アカ。



   紅の瞳は… 特殊だった。
   俺はこの目が大嫌いだ。
   普通の奴らは明るい茶色だったり、青だったり、水色だったり緑だったり、綺麗な瞳の色をしてる。
   紅――― こんな珍しい色の瞳の人間は、滅多に存在しない……



   そして何よりも、俺を産んだ母と同じ色、という事実が更に嫌悪を増幅させていた。
   何故よりによってあの女と同じ色…
   得体の知れない父であろうと、その色の方が余程マシだったのではないかと思う。

   兄さんは父親の色が出ている。深い緑色。地球の緑色。
   ―――綺麗で、羨ましい。
   俺だけ。母親の色。アカ。紅……


   大嫌いだ。  なんで――― …何で、こんなに普通じゃないんだろう…
   もっと普通の家庭に、普通の女の子として、生まれたって良いじゃないか…


 
「馬鹿か」


   再び鏡の中の自分にそう笑い飛ばして、風呂場を出る。
   髪の毛を乾かし簡単に朝食を作って、それもやっはり結局はその半分しか食わなくて…
   今日も空の鞄を肩に掛けてダラダラと俺は学校へと向かった…

   何故向かうのかも分からない。
   どうせまた、呼吸の出来ない箱に閉じこめられるだけなのに。



「オイ、あれ」

「え?ああ…あれだろ?1年の橘珱。へぇー」

「そうそう。あの、入学式から瀬音さんと喧嘩したって女」

「式以来初めて見たゼ。目立つなーあの女」



     昇降口でいきなり、2年の男2人組に指を指されてそう噂された。ウザイんだよ…
     アンタ達だって真っ茶色な髪の毛で、俺と似たように違反な制服の着こなしをしている。
     俺と何が違うというのか。―――それでいて何故、俺ばかりが目立つと言われているのか。
     理解できない。俺は1度そいつらを睨んでから、その場を離れた。


  
 「うわ、すっげ目つき。怖ぇー」

   「色赤くなかったか、今?何アレ?すっげぇ色…カラコン?」


 何も聞こえないフリをした。
 何も知らないフリをして、今度は逃げた……


 教室へ向かう際に、1年4組の隣の教室、5組で…
 3年の女(上履きの色が緑)と、…アイツ…なんていったっけ。
 この間の帰り、昇降口付近で俺に絡んできた金髪のギャル…が、話をしていた。

 っは、なるほどね…ああやって3年を味方に付けて自分の身を守るのか…
 そしてついでに、俺の悪い噂を吹き込みセンパイ達に俺を潰して貰う、と。
 …御苦労なこった。通りで、無法状態の俺ばかりが目を付けられるワケだよ。
 アイツだって金髪だし俺以上に目立つはずなのに、なぜか俺の方が騒がれている。
 おかしいじゃねぇかよ。そう言う裏手口があったと言う訳ね。―――なんて馬鹿らしい縦社会。

 横目でその光景にナイフを刺しながら、
 無言で教室へ入る。入りたくもない箱で、ゆっくりと呼吸をする……

 自分の席に静かに腰掛けた瞬間、隣の席の男が1度、チラ、とこっちを見てきた。
 ―――だから、何なんだよ。
 隣にいるだけで迷惑だと言いたいわけ?

 ……俺はわざと舌打ちしてやった。
 するとその男は、慌てて目線を読んでいた本に戻す…。


 隣の男は…優等生サマだ。
 ―――確か、入学式で新入生代表の言葉とか、何か読んでた気がするな。
 見た目もそれを象徴するかのような優等生スタイル。おまけにウチのクラスの委員長、だった。
 俺とは1番縁の遠いタイプの男。俺なんかが隣の席でイイ迷惑してんだろう。
 目に見えて嫌そうなんだよ。……そんなに俺が嫌か。

   悪かったね。

 心の中でだけそんな風に謝る。 話す気になんてとれもなれない。
 話したところで、優等生様が迷惑を感じるだけだろう…。
 ……どうせ、そうなんだ。


  俺と1番縁が近いのは、あそこの馬鹿達なんだよ…。


   「橘さぁーん」

   「おはよぉー」



  クリーム色の長い髪の毛を縦ロールにしたギャル、
  何日風呂に入っていないのか分からないような黒いギャル、
  …違うのかな、ギャルじゃねェのかな。…理解不能生命体。
  2人組のヘリウム声の女が、薄汚い半笑いを浮かべながら俺に近付いてきた。

  更にその後で、例の阿呆ヤンキー4人組がニヤけながら見ている。
  リーダー格の金髪口ピアスデブ…が、やはり1番気に入らない視線を寄越してた…。
  勿論俺は其れに気付いている。他にやることねェのかよ。暇な奴らだ。

 
  
 「こないだァー、那美と喧嘩したんだってェー?」


 何故話し掛けてくるのかと皮肉に思いながら、
 出された名前に心当たりが無くて考えてしまった。…那美?

 ―――あぁ。工藤、那美。…とか、…言ったな、あの金髪ギャル。思いだした…
 ダメだな…どうでもいい奴の名前はすぐ忘れてしまう。
 その証拠にこのギャルの後の4人組…
 コイツらは中坊の頃から同じだってのに1人の名前も知らない。
 …元より塵の名前を覚えるのが苦手だ。興味も無い。


  
 「那美ちゃん相当怒ってたなー、アレ」

   「可哀想になァ〜」



  ギャル達の後で、男達がゲラゲラと笑っている。
  …可哀想、ね…。こちらは喧嘩なんかをしてやった覚えも無いのだが。
  あの女が一方的に絡んできたから、俺は正当防衛しただけの事。
  あんな物まで喧嘩の1つとしてカウントされてしまうのか。そう思うと、
  俺の日常茶飯事は格闘家以上のラウンド数を踏むことになる気がした。


  
 「橘さぁーん、聞いてんですかぁー?」


  小馬鹿にしたその口調は、俺の精神に煙草の煙でも吹きかけているとしか思えず、
  ただ、胸から頭に繋がっている有刺鉄線嬢の導火線に… その火が引火してゆくのを感じた。

  ズイ、と、ギャルが少し顔を近づけてくる。ふざけるな。 ―――近寄るな。

  聞いてねェよ、と俺は呟いてやった… 反応しただけ優しいと思いやがれ。
  目も伏せた。―――見たくもない…… そう、こんな世界見ていたくないんだよ。



     
 「!!、ッざけてんじゃねェぞあぁ!?」

    
  「―――!、」



          その瞬間、ガァン!!!と、目の前で俺の机が上へ跳ね上がった―――。



    
 「何様なんだよ、テメェは、あぁ!?」



  ………思わず俺も少しビビッて、肩に力が入る。らしくもなく目を見開いた。


  ガシャアン…と、机は斜め前方へと倒れ、俺とギャルの間の敷居が無くなる。
  それを見て何が楽しいのか、デブ達も大声で笑いだした―――…

  俺は冷静になるとすぐにそのギャルを睨み返し、奥歯を強く噛み締める。
  馬鹿が。テメェが何様だってんだよ…!

  蹴り飛ばされた机が隣の委員長の机に方にまで被害を及ぼしていて、
  誰よりも彼が1番驚いたことだろう… それが何故か何よりも心の中で苛立ちを募らせる。
  関係のない奴がまた、俺のせいで苦しみ、俺を忌み嫌ってゆく。
  ―――今日も教室が、俺関連の事情で静まりかえっている…!

  クラス中のイイコちゃんの目が「もうやめてよ…」と言う嫌悪の空気を放つ。
  そして馬鹿不良と馬鹿ギャル共の「やれやれー」と言う罵声が、広がる……


  
 「聞いてんのか、って言ってんだよ。あ?」


  お前に脳味噌は無いのか?聞いてねぇっつっただろうが…
  そう思いながら俺は椅子から嫌々と立ち上がった。
  …背中に垂れていた髪の毛がするりと胸元に落ちる。
  それが合図のように、とうとう俺も声を切り出した。


  
 「―――アンタらもたいがい暇だね…何が楽しくてそんなに俺に構う?」


  皮肉にそう言ったが、何が理由なのか、ギャルも後のデブ等も相当頭に血が上っているらしい。
  ズバッとその答えを教えてくれやがった。…くだらねぇ、理由を。


 
  「いつもいつも、人のこと馬鹿にしたような目で見てんのが気にくわねぇんだよ!」


    ……それが理由、か?―――馬鹿らしい……!!
    いつも人を馬鹿にしたような目?…っは、分かってんじゃねぇかよ。
    だって馬鹿だろ、テメェら。ちょうどイイじゃねェかよ!!


  「那美の言うとおりだぜ。天下気取ってんじゃねェよ。誰もテメェとなんかチーム組まねぇっての」


   チームも族も興味ねェよ。 そんなに俺が目立つのが気にくねェか。
   ――――――目立たせてんのはテメェらだろうが!!!


 
 「オイオイオイ、何とか言ったらどうなんだよ、あぁ!!?」


  
ガッ―――!!!!


     きゃあ、と、距離のある位置から女子達の声があがる。
     隣の席の委員長も席から立ち上がり、目を険しくしていた…。


  「…………テメェ」


     後にいた男の1人の足が…俺の腹を横から蹴り飛ばしてきた。
     普通、教室の中で女子に蹴りを食らわせる男がいる?
     そう思いながら俺は、それをギリギリの位置で自分の拳で遮っていた。

     ああ―――そうだね、逆を言うならば…
     普通男子の突如の蹴りを止められる女子がいるか?、って話か。
     …ああ俺は普通じゃないよ。こんな馬鹿男の蹴り喰らうほど俺は弱くない。

     けれどもさすがにアタマに来た。こんな教室でいきなり喧嘩ふっかけてくるかテメェ。
     こーゆーことは誰もいねぇ野外でやれよ。

    
  
 「ふざけんじゃねェ…!!」


    バッ、と、受け止めた脚をそのまま拳で突き返すと、
    そのままよろけた男を放り、ギャルの後のデブを相手に殴り返しの体勢に入った。
    ガシャアン!と、また、俺が突き飛ばした男がどこぞの机に突っ込んだらしく、
    酷い障害音が耳に届く。―――だがそんな物には興味もくれない。
    目の前のデブは、向こうもこっちを殴ってくる気らしい。

    ナメてんじゃねぇ―――!!!




           ああ ヤバイな   周りが、見えない  意識が白くなりだした……

           身体が、言うこと聞かない。   勝手に、動いてる…




                    
 ヤバイ 俺、 コイツのこと、  殺…





 
  「池田!沢松! 先公来たぞ!」


     教室のドアの辺りにいたヤンキーが、デブとギャルに向かってそう叫んだ。
     ―――それを聞いてデブがピタ、と手を止める。

     その瞬間、…目の前に色が戻った。
     周りのざわざわという声も、椅子に座っていく音も聞こえる…
     先公が来たから何だと言ってやりたかった。…が、あまりにも場が悪いと、
     冷静になった頭の中が、必至に俺に説得をする…。

     此処で事を止めずに実行に移れば、個人、クラスどころか学校問題になる。
     …授業停止、最悪全校集会だのを設けられるに違いない… そこで噂の煙に立つ名前は、
     この目の前のデブと、また…「橘 珱」という1年の不良女子生徒の名前だ―――…


     そこからの行動は早い。…チッ、と唾たっぷりの口で舌打ちをし、目の前を去ってくデブ。
     ヘリウム声で「憶えとけ」と笑い、ギャル共も同じ方向へ翻した。

     …いちいちまた先公に呼び出されるのも面倒だ。
     俺も拳の中に、感情をそっと抑えこんだ…



 
 「―――、何があった。……何だ、これは」


    教室に入ってきた先公が、俺の方を見てまた眉間にしわを寄せてる。
    平然を装う無表情で俺はその顔に反応を見せぬようにしていたが、
    ふと自分の周りを見て全てが無駄だと教えられる。
    ―――机……蹴り飛ばされて倒れたまんまだった…。


 
 「…なんでもねぇよ」


   俺はそう言い、隣の席の委員長の位置まですっ飛んでいた机を起こした。
   立ち上がっていた委員長は、それを手伝おうと一瞬手を伸ばし掛けたが…またすぐに引っ込める。
   …奴のその手が来る前に、俺がさっさと机を起こした。


 
 「悪かったな」

   
    俺はボソッ、と委員長にそう言ってすぐに席を戻し、座った。
    ―――だが当然、そんな事では先公は納得しないだろう。
    教卓に名簿やら何やらを置き、強い足取りで俺の方に向かってきた…
    その目は、俺を悪以外の何者でもないかのよう… ただ一方的。



  
 「何をやっていた。……周りに迷惑をかける行為は慎めと言っただろうが…!」

     
     ウゼェな…何でもねぇっつってんのに…。
     周りで、デブとギャルと、周りの馬鹿が顔だけで笑っている。
     優等生ちゃん達は何も言わずに下を向いてる。―――ウザすぎだ。

     
 
 「何をやっていたのかと聞いているんだ!!」

 
 「…何もしてねェって」

  「正直に答えろ…また呼び出されたいか」


    呼び出しが何よ? アンタが延々と文句を言っているだけじゃない。
    コレが正直に言ったところで、何時何処で、アンタが俺の話を信じるの?


  
「だから、何もしてないって言ってんだろ…!!」



      ねェ、 アンタはいつ、 俺を信じてくれるって言うんだよ…



 
 「ッ、いい加減にしなさい、橘!!」



            誰が 俺を信じてくれるって 言うんだよ――――――… !!!




 
「先生、何でもありません…大丈夫です」




         ――― 、




 
「―――、何?」

 
「―――……」



    ―――…  思わず俺は、声のした方を振り返った……

    …誰?



 「何でもありません、俺と…友達が、教室内を走っていて彼女の机を倒してしまったんです」


    …コイツ―――。


 
「すみませんでした。……橘さんも、ごめん」



    何…言ってるんだ?

    意味が分からなくて俺は、肩の力が抜けてしまった。
    ―――…多分、とても間の抜けた目をしていたと…思う。


    俺の隣の席の、委員長…が、勝手に先公にそう、言った。
    真っ直ぐな声は教室全体に響き、確実に生徒全員に届いている。
    そのまま彼は一切表情を崩さずに、俺の机の上に手を置き、俺にも頭を垂れた…。

    そのまっすぐな視線に……先公も足を止める。
    …さっきまで笑ってやがった奴らも、驚いて声の主を凝視する。


 
 「……、……本当、か?」

 
 「はい」


   それでも半信半疑の先公は、チラ、とかすかに俺に目を向けてくる。
   当然だ… どう考えても怪しいのは言動の方で、状況とまるで一致しない。
   彼が走っていて?机を倒した?…とても想像付かない光景だ。
   だが委員長本人がそうだと言うのだから、と、…先公は俺に何も聞けない状況になっている。


  「まぁ、いい…次、こんな事があったら問い質すぞ」



   ――― 一瞬教室に、ホッ、という… 緊張の糸が切れる溜息が広がった…。
   それは勿論無関係の良い子ちゃん達の声であり、
   逆に俺が呼び出され説教を食らうのを期待していた連中は、真逆…
   唇を斜めに釣り、つまらなそうに目を細めてる…

   …何、終わり? ……なんだ…ラッキー。
   俺は少し理解不能になりながら… 目の前に戻った机と椅子に目を向け、
   先公が背中を店ながら戻る音と共に、席に着いた…。

   隣で委員長も、静かに席に着く。


   おかしな状況だ。だがもう1度冷静を取り戻すと、自分なりに理解をした。
   委員長がクラスのムードを取り持つために出したのだろうフォローだが、
   同時に俺の面倒事も取り除いてくれやがった、という事だ。…ザマァみろ。

   反省の色無く俺は机の下で足を組み、再び目を閉じる。
   何ら疑い無く俺だけを敵視する先公の視線が、痛くて消えやしない…

   それだけがずっと悔しくて、 じっ、と… 下を向いた。




   …その日は珍しく5時間目まで学校にいた。
   だが昼を過ぎた頃から急に雲行きが怪しくなって、空が黒くなり始めたから…
   やっぱり6時間目はフケた。傘持ってきていなかったし。
   曇天の下をダラダラと、だけど極力何も考えずに帰る。

   そしてその行動が正解だった、と、家に帰ってから判明した。
   土砂降りの雨が地面を打ち付ける。…傘があっても濡れるだろうな、これは。


   ベランダの窓を開けると、涼しい風が部屋を通り抜けるので
   俺はそこからじっと…びしょ濡れの街を見つめていた。


     なんか、泣いてるみたいだ……



  
 「俺そっくり……」



     泣いてばっかりの、俺、そっくり……




       今日も気付いたら、足の指先に点々と… 塩辛い雫が落ちていた。

       まったく困ったものだ。泣かずに済む日は来ないのだろうか。
       毎日毎日…飽きもせずに溢れてくるもんだ…。


       1人で―――。




    
 「泣いてるつもりねェのにな…」



      拭っても拭っても涙は止まらない。
      勝手に流れ出すのは、 多分… 痛みの代わり。 


        もう我慢できなくなった部分の涙が、溢れてる……



      何となく感覚で分かっていた。
      本当はもっと、心の中に…沢山の涙が眠ってるんだ。
      本当はその涙を流さなきゃ…ちっとも泣いた気になれない。


        今流れてるこの涙は、入り切らなくなった部分。




    
 「兄さ…ん―――」




   ねぇ、兄さんがいないと、 泣けないんだよ…

   兄さんがいなきゃ…  






     “泣いてイイんだよ、珱…”

     “よしよし…怖かったね……”







    膝に顔を埋め、小さくなりながら脚を抱いた…










            淋しいよ…