Want Love 1
〜タチバナ エイ〜
 
 
 
 
 

             「お前が橘?お前、始業式ッから3年の先輩に絡まれてただろ」


                                      だから?



      「橘!今何時間目だと思っている!!!勉強する気はあるのか!?まったく…!」


                    別に、無い  



     「橘、テメェいるだけで迷惑なんだよ…消えろっつってんだろ」


            テメェが消えればいーじゃねェか…




                    「橘さんって、あの人…?何か怖いよね…」

                           
                                     
    だったら見るな







         
 どいつもこいつも  







     「橘さん、」





        
       うるせぇよ!!!






   思わず俺はそう大声で叫んで、目を見開いて…
   広がる青空にただ呆然とした。
  


 
「………」


   綺麗な快晴だった。  春は、季節で1番好きだ…




   あぁ。…今日も…
   俺は学校の屋上の入り口の裏側に座り…風に吹かれて寝ていた。

   夢を見ていた…そいつは決して甘い夢じゃなくて…腹立たしい、夢。
   そして、夢の中に必ず出てくる…「橘」ッつー言葉。
   …意味はいいモンなのに。あーいう女が持つと台無しだな。
   俺が持ってても大したものにはならねェけれど。



   入学して2週間。まだマトモに、1日を授業だけで過ごすという事をしたことが無い。
   毎日毎日こうして… 大好きな春と優しい風にだけ相手をして貰っている…。
   桜の花弁の顔が見れればいいのにと思う。風の言葉が聞こえればいいのにと思う。
   そうしたら俺はどんな表情と、どんな言葉で返事を返すのだろう。

   ―――…ゆっくりと、爪の伸びた指先を見てそう思った。



   チャイムが耳障りなくらいの音で鳴る。…今何時間目なんだろう。
   日の昇り具合から見て…3時間目の終了くらいだろうか?
   …屋上ってのはある意味1番チャイムが聞こえる場所。
   いつもコレを目覚まし代わりに目を覚ますのだが、今日は残念ながら夢の内容の悪さに起こされた。
   いわゆる寝覚めの悪い夢だったという事だ。


   3時間目?……いけね。…そろそろ逃げねェとあいつが来るかもしれない。
   俺は眉間にしわを寄せて強く上に伸びをした。ゆっくり、立ち上がる。


   “あいつ” 名前は…何て言ったかな。1つ上の…2年の男不良。
   名前、噂で聞いたんだけどな…忘れちゃった。とりあえず馬鹿みたいに目立つ男。
   長い髪をしてて、その色が綺麗な…海みたいな群青色で。
   どーゆーわけか更にそれを女みたいなポニーテールに縛ってる不良。変な男。

   …でも俺には、分かる。
   あの男には近づかない方がイイ…。 放つオーラが違う。強い、怖い。

   そしてこの屋上はあいつの縄張りであるのを知っている。
   それを承知して俺は此処に上がり込んできているのだが…
   バレたら一溜まりもねェだろう。あの男、噂によりゃ女相手にも容赦ねェってらしい…


    だから…“女”の俺が、適う相手じゃないってのも、一応分かっているつもりだ。


   でもだからといって、自分がそこらの脳天気な馬鹿不良と同レベルとは思わない。
   俺は強い。どんな喧嘩にも勝ってきた。男・大人相手にも殴り返して生きてきた。
   ヒトリきりで自分を自分で守って、生きてきた。 俺は強い。


    ただ…なるべく…あの男とは関わりたくない。それだけだ。
    俺の勘は、良く当たる。  “何となく”コレは俺の、大きな武器。



 「………」




 
    無言で立ち上がったまま、入り口まで歩いた。そこで疑問が生まれる。

    屋上ずらかったトコで、何処行くって言うんだろう俺は?
    教室? ―――どうせまた先公に怒鳴られて、周りに愚痴言われるだけなのに?


    ……風が優しく…俺の、キャラメル色の髪の毛をなでる…





                                   切なくなった。








    
  「兄さん…」














 
 どうせならもう帰ろう。そうだ、そうすれば良いんだよ。
 不名誉にも不良で有名な俺にとっては、簡単な考えだった…

 予想通り時刻は、3時間目と4時間目の合間の休み時間だった。
 もうここまでサボったんだ、今更教室に戻ってどうする。
 俺は鞄を取りに教室へ戻った。―――鞄ッつっても何も入っていないけど。
 とりあえず「欠席じゃありませんよ」って印。それだけのための鞄。
 財布はポケット。ケータイは持ってない。必要ねェから。
 連絡を取るダチも親も居ないんだ。そんなモノあるだけ無駄だろう?


 屋上からの階段を、表情の怠さとは裏腹にテンポよく下る。
 今は休み時間だし先公はいねーな… とっとと姿を消そう。

 相変わらず顔は気怠いが、俺の行動は早かった。
 廊下で何人もの生徒を追い越して教室へと戻る……
 その間どれだけの目が俺を流し見したのだろう。
 「4組の橘だ」と、意味のない意味を込めて。

 迷惑だ。



 ガラッ、


  無表情で1−4の教室のドアを開ける。
  その瞬間一気にクラスの奴らの目が俺に向いた… ―――ウザイ。見るな。

  急に教室が静かになる…。
  さっきまでうるせぇ笑い声だとか、女子共の高い声が聞こえてていたのに。
  一斉にコソコソとした小声で話し出した。…ほとんどが俺の噂って事ね。
  どーでもいい… 言いたきゃ言えば良い。興味も無い。
  俺は自分の机の横の鞄に手を伸ばした…


  が、その時だった。
  …中学時代からいつもいつも、俺に唾を掛けてくるガキ共が…。
  ダセェ男のヤンキー、4人組。俺を見て今日もまたそのヘラヘラとした薄ら笑いを近付ける。

  相手をするのも嫌なのに、シカトを通せず大人になれない自分にもたまにイラッとする…


  今まで何度か1人であいつら4人の相手をしたことがある。
  もちろん大抵俺が勝ってきた。…いつもって訳じゃないけど。

  そりゃそうだ。…男4対女1。コレでしょっちゅう勝ってる方がおかしいんだろう。
  ―――それくらい俺は喧嘩の経験が豊富って話だ。
  それだけ俺は普通の不良じゃねぇって事だ。
  チームだとか族に入ってねェ方が、自分を護る術を良く知ってる。
 
  でも俺の身体には…自慢じゃないが女の物と思えないくらいの傷が…ある。
  喧嘩で付けたモンもある。そうじゃないのも…混じってるけれど。


  …来たか。



   
 「よーぉ、橘ァ」


      リーダー格は金髪。唇には似合わないシルバーのピアス。
      …脂っこい顔は見ているだけで吐き気がする…といつも思う。
      中年オヤジみてぇに太った身体が生理的にも受け付けられない。
      鏡見ろ、不細工が…。


   「んだよ…」

   「お〜っかねぇなぁ。まだ何も言ってねーだろ?」
 
   「そーだぜ、なぁ〜」


     用があるならさっさと言えばいい。
     クラスの関係ねェいい子ちゃん達の視線がウザイんだ。
     「またやってるよ…」「迷惑なのよね…」っつー視線が。
 

 
 「お前よぉ、3年の瀬音さんに目ェ付けられてんだぜ?やべーよなぁ〜?」


     リーダー格の金髪にそう言われ、俺は複雑に目を細めた。
     …瀬音(セノウ)?…誰だそいつ。
     「は?」という意味を込めて4人を睨み返した。
     長年の付き合いのせいだろな(付き合ってるつもりはねーけど)。
     向こうもそれで分かったらしい…。面倒が省ける。


 
  「あぁv…瀬音さんは美人で可愛い上に、すっげぇ座に座っててな〜」

   「まさに女王様だよな!あの人にだったら何されてもいいぜェ」
 
   「ヒャハハ「!!」       
                   


   裏返った笑い声が耳に苛立ちを運ぶ。
   …つまる所コイツらは何が言いたい?美人で可愛い?それでどうした?
   瀬音… 聞いたこと…あったかな… まぁ興味なんてねェし誰でもイイ…


  
 「…だから?」
 
  
 「うーわ、ばっかじゃねー?」
  
 
     どっちがだよ。そんな些細な切り返しにさえピクッと表情が歪み、
     喧嘩の態勢を始めようとしてしまう自分が居る。…クソ、殴りたい…。

 
   「瀬音さんとお前が喧嘩したらよぉ、どうなると思う?」


    金髪の男の右にいた男が楽しそうにそう言うのに対し、
    俺は睨み返すだけの返事をした。それでも頭の中では言葉を紡いでいる…

    喧嘩したら?決まってる。…勝つ。それだけだ。
    美人で可愛い不良だって?男にチヤホヤされてる女王様?
    幸せなこった。いつでも相手してやるよクソ野郎。


 
「瀬音さんの顔に傷1つ付けてみろよ!学校中の男がお前のこと殺しに来るぜェ?」

 「まぁ、俺達にゃ好都合だけどなぁ」



   男どもの笑い声がシャワーのように自分に降りかかる。汚い、と思った…
   何が面白いんだかさっぱり分からねェし、とても同じ生命体だとも思いたくない。

   机の周りを囲まれて雑音のように耳に笑い声だけが張り付く。
   気のせいか?視界が白んできた…… あぁ、ヤバい……


      これ以上の毒薬があるだろうか。 …いい加減にしてくれ―――



  
 「どけ。…帰らせろ」

  
 「待ちなって。逃げんのか?あぁ?」


    目の前を遮るように、2人の男が立ちはだかった。
    逃げる?誰が?テメェらを見逃してやってんだろ――― 俺が!!



 
  「どけッつってんだろ!!!」



     自分の机を蹴飛ばし、ガターンッ!!と酷い音を立ててそれを転がした。
     静まりかえった教室を出てゆこうとすると、
     出口付近で俺の背中に笑い声を飛ばしてくる―――クラスのギャル共。


 
 「消えろよ橘」


    ヘリウムでも吸っていそうな声で後から飛ばされ、
    最後に俺は強く睨み返して廊下を蹴り去った。




    ウゼェ


    お前等が全て消えれば良い






                      殺したい










 とんだロスタイムだ。もう授業が始まる…早く帰ろう。
 意識的に足を速くさせた。汚いモノ何も見なくて済む様、下を向きながら。

 あんな箱を選んだ自分を酷く後悔していた。
 例え兄さんの薦めであったとしても… たったの2週間でもうコレだ。
 …とても3年間も耐えられると思えない。我慢できると思えない。

 自分が壊れない自信が無いよ…



 足の裏の力をフルに使い、下を向いたまま昇降口へ突進していた…が、
 それが逆に災いしてしまう。目の前に影が入り俺はビクッと顔を上げた。

 …ようやく辿り着いた階段で、目の前に「良い人間」の手本を示している、
 とでも言いたげなスーツの格好の男…化学…だったかな。
 …先公が立ってた。ていうか、…担任だったか。

 
   
「橘。…今何時間目だと思っているんだ…今までどこにいた」


  やはり、手本と言わんばかりの決まり文句のような台詞。
  …毎日授業をサボってる俺に、毎日ふっかけてくる言葉。
  言われて当然と分かっていながら、悪態を付いた。テメェに関係ねェだろがという顔で。


 
 「答えなさい」

 
 「校内にいた。…ちゃんと登校してんだ、充分だろ?」

  「そういう問題ではない!…全く…その言葉遣いも直せと言ったはずだぞ!」

 
 「っは、笑わせんな。なんでテメェに俺の口調を直させる権利がある?」


   廊下に出てきて、笑ってる奴らがいる。
   趣味が悪いな。…人が叱られてんの見るのがそんなに楽しいか。
   随分暗い青春だこと。―――俺に言われたくないか?っは。


 
 「橘、お前という奴はっ…。指導室に来なさい!!今すぐ!!」

  
「!」


    後に気を取られていたその瞬間、ぐんっ、と、その先公に腕を掴まれた。
    ビリッ、と、腕に電流が走ったように…嫌悪が俺の全身に広がる。
    不意をつかれ逃げようとしても遅かった。―――教師の手がおぞましく思える…
    そこから毒物が体内に進入している気さえして、逃げへの本能で思わず足を出した。


  
 「離せッ… 離せ!!!」

  
 「っ、いい加減にしなさい!!!」


    だが蹴り飛ばした力は弱かったらしい。…大人の男には利かない。
    逆に強い力で腕を上に引かれ、ますます体勢は不利になるだけ。
    それを見て更に爆笑をしている雑音が耳に入る。


    ウザイ… ウザイ、 ウザイんだよ…!!!!


     痛かった。すげェ力で引っ張られているのが、恥ずかしくはないが惨めさを教える。
     もちろん反抗はした。叫び散らして殴れば、逃げられると…思った。…けど、



   
  「!」



        あれは……



  
 「大人しくしろ、まったく……!」



     指導室に連れて行かれる際に、あの…群青……そう、青頭の男を見た。
     青の上履き、2年。…ポニーテール。…あれだ。
 
     関わりたくない男。



      ふ、と目を逸らしたら…  何か、逆に見られた気がした…。



      最悪だな。






          指導室は暗く狭い。煙草の匂いがする。
          混乱と苛立ちで壊れそうな俺の頭の中には、先公の長い説教がただ
          俺を殺すために用意された呪文か何かのようにしか聞こえず…

          ああ、此処で俺が死んだらアンタは日本中で報道される有名人だな。
          そんな皮肉なことばかりを思って呼吸をした。


          次このような事があったら、親を呼ぶ、と…その台詞だけが鮮明に聞こえる。
          親、ね… 呼べるもんなら読んでおいてくれよ。俺もそのツラが見たい。

          来ねェよ。来るわけねェだろ。つうかいねェし…
          俺の家族は…遠いところにいる、兄さんだけだよ…。



          それ以外の人間は皆クズ。 クズだ。

          兄さん以外なんて…皆死んで良いよ。






             俺も。









       ようやく狭い個室から解放される。
       きっと廊下の空気でさえも美味しい、そう思ったが大して変わりがなかった。
       教室は授業中になり、何処にも俺に汚い唾を飛ばす馬鹿は居なかったが…

       授業へ行けと言われたのを潔く無視し、俺は今度こそ階段へ向かった。
       早く帰ろう。こんな所に居ても「人生」という時間の無駄。
       なんか俺…先短そうだしな。冗談抜きで。

       生きていてもしょうがないのも分かってるんだけれど。


       だらしなく床に着きそうな程ダラリと鞄を持ち、昇降口までもダラダラと歩く。
       いつもは感じない虚しさを、なぜだか身体中で感じた。 
       馬鹿馬鹿しい……そう心で呟きながら、必至にその感情さえも排出しようとする…。



 
  「………、」
         


     再びふと、目の前に人影を感じ、条件反射で顔を上げた。
     また誰かが俺の目の前にいる―――。
     目の前というか…昇降口だけど。先公だろうか。

     …あの人間が、クズじゃなければ良いのに。
     兄さんなら良いのに。―――何度、そんな馬鹿げた夢を思ったかな。



   
 「よォ、橘…」


       赤いゴムでサイドポニーにした金髪、薄い水色の瞳にマスカラだらけの睫毛。
       上履きの色は、赤。1年。……ルーズソックス。…ギャルか…。


  
 「…誰」

   「あれ?…アタシの事、知らねェんだ?」

 

      どんな自意識過剰だよ。俺は思わず眉を下げ、ッハ、と笑ってしまう。
      テメェの事なんか知らねェよ馬鹿。邪魔だっつうの…

      わざと大きくその影を避けて、俺は自分の下駄箱に手を伸ばした。


 
  「隣のクラスなんだけど」
     
   「知らない」

              

     隣のクラス?知るかよ。クラスメイトの顔だって知らないんだ。
     とことん無視して流してやった。悪いけど、アイドル不良の相手なんてしたくない。
     だがそれが気に障った…というか、単純にムカついたのだろう。
     その女は長い爪の手で俺の肩を掴むと、グイと自分の方へと引いてきた。

     …ふざけんな ―――触るな…!!


 
  「工藤那美。…あんたが邪魔でしょうがない、同じ1年」
     

      そんなトコだろうな。名前以外は簡単に分かるよ、説明ご苦労様。
      いったい何人存在してるわけ、一方的に俺のことを知っていて一方的に俺を敵視して、
      一方的に俺を消そうとしてきている馬鹿共が。 いったいどれだけいるわけ。

      ねぇ。  ―――俺はお前のことなんか知らない。 俺が何をした?


 
 「…だったらテメェが消えればイイじゃねーか。俺は関係ねェだろ?」

 
 「あんたがいて迷惑してる奴、この学校には腐るほどいんだけど」



   俺はただ、学校に来て授業サボって不良やってるだけ。
   さっき教室で俺に唾を掛けてきた男達4人の名前だって、
   出口で言葉を吐いてきたギャルの名前だって、お前が名乗らなければお前の名前だって、
   何も知らない。誰のことも知らない。―――だって俺はお前等に何もしてない。

   なぁ…言えよ。 教えろよ。
   いつ、どこで、誰に!!俺がテメェに迷惑懸けたってんだ…!


 
 「自分がカッコイイとか、思ってんじゃねぇよ」

  
「―――…っは」



    その言葉を聞いてますます馬鹿らしいと思った。格好良い?コレが?
    ああそう、カッコ付けでやってるとでも思ってんのか…。
    俺だって別に望んでこんな姿になったわけじゃない。

    ―――話したってどーせ分かんねぇだろうけどな…!!


    俺はギリと強く奥歯を噛み、次の言葉が出てくると同時に強く女を睨んだ。
    相手の放つ香水があまりにもウザくて、鼻から頭に苛立ちが突き抜ける感覚。
    …掴まれている肩は、まるで足に絡みつき俺を離さない茨のよう。

    やめてくれ。 もう… いい加減にしてくれ…!!


  
「迷惑なんだよ目立ってんじゃねぇよ、周りだってそう思ってんだよ」

 
 「だからテメェ等が消えりゃいいじゃねぇかよ。俺は関ねぇよ」

  「話のわかんねー奴だな。…テメェは1年ナンバー1の女不良を着飾ってるつもりなんだろーけどさぁ」



      ナンバー1を着飾る?何? …あぁ。…地位のこと?
      はたはた呆れたくなった。ああそう、水面下でそういう争いをしてるワケね…。

      馬鹿は幸せで羨ましい。



  「ウゼェんだよ。…1はテメェじゃねぇ!!」



      くだらなすぎる。今度は睨んだまま唇が笑ってしまった。当然、「っは」と飛ばしながら。

      俺が学年1の不良だと?…ああ、そうかもな?
      敵を持つ数も先公に目を付けられてる数も確かに1番多いだろう。
      喧嘩の力もきっと俺の方がよっぽどあるだろうね。
      それがどうした。No.1が何を得する? なぁ。

        
 
 「…周りがそう呼んでるだけだろ。俺はそんなご立派な称号いらねェよ」

 
 「!!、ッ…んだと?」

  「お前は「1」の称号が欲しいんだろ?俺は別にいらねェからよ…お前が名乗ればいーじゃねェか」



     皮肉を込めてそう笑ってやると、俺の肩を掴んでいた工藤の手に力が入った。
     こんな女の力、大したことねェはずなのに…何故かツキン、と肩に痛みが走る。

     何だ…?

     !、…まずい、ソコは ―――この間の喧嘩のアザの場所だ。



 
 「そのためにはまずテメェの顔にアザ作って、何処も歩けなくしてやる必要があんだよ!!!」

 
 「!」



    声のトーンが上がり、工藤の右拳がいきなり俺の顎に向かってくる。
    いきなり、という割にはスピードは大した事がない。…やはり力も無さそうだ。

    焦る必要もなかった。俺はまた嫌味を込めて笑ってやりながら、
    簡単に左手で叩き落としてやり、掴まれていた肩も手から難なく逃れてみせる。
    その速さに工藤の悔しそうな表情がカッと浮きだった。…馬鹿な女だな。

    しかしそれは布石だったらしく、次の瞬間に本望である左膝が…
    俺の腹に向かって来た。成る程。
    …ド素人だと思っていた故に少し関心したが、それも甘くて笑ってしまう。

    顔に傷を付けて、歩けないようにしてやりたいんじゃなかったの?
    俺はそう思いながら今度は右手で、工藤のその左膝を押さえてみせた。


   「ッ…!!」 


     流石に今度は本気で驚いたらしい。
     足を下ろし、よろ、と、工藤は俺から離れる。


 
 「生憎、顔に傷付けられるほど弱く無い。…でも別に称号なんていらねェよ」



    テメェが「1」で良いんじゃねェの?
    俺はそれだけ吐き捨てて、ローファーを地面に放るとそれにサッと足を通し、
    まだ桜の花弁がチラチラと降り注いでいる校門を出た。
    昇降口から、1度も工藤の顔は見ずに。
    でも何となく…悔しそうな表情をしているだろう事が、想像できた。

    ばかばかしい…





       やっと帰れる。桜の花弁も春の風も、再び俺を優しく掠めて過ぎる。
       今度はコンクリの道路の上から…快晴を見上げた。


       早く帰りたかったはずなのに、帰り道は…無性に寂しかった。
       すぐ横を通る乗用車やトラックの音が、まるで自分の存在を打ち消すように
       あまりにも乱雑で攻撃的に思える。―――身を投げそうな自分が怖くなった。

      
       消えろ。 ウザイ、ね。

       …瀬音って女を殴ったら学校中の男が俺を殺しに来るって?
       口調を直せ?いい加減にしろ? …何の関係があるっていうんだろう。


  
  「……あ…、…思いだした…」



   瀬音… 瀬音久実果。3年の、あのド派手な赤ピンクの髪をした女か…

   思い出した瞬間同時に、胸の中に苛立ちが蘇る。
   とんでもねェ不良だった。何かケバくて、ギャルだか不良だかも分かんなくて。
   入学式だった。すれ違った瞬間…いきなり蹴り入れられたんだ…。
   だからすぐさま反撃して殴りかかろうとした。ら、先公共がすぐに飛んできて…


     
   “瀬音久実果、アタシの名よ。覚えときな…!!”


   お互い先公に押さえ付けられながら、睨み合った。
   しかし押さえ続けられたのは俺だけ。アイツは直ぐ解放されて、先公共に「大丈夫か?」などと
   逆に心配されていた気がする。…先に攻撃されてんのはこっちなのに。

   ムカツク女だった。何が気にくわなくて俺のことを蹴飛ばしてきたのかも分からない。


   あぁ、何?それがさっきの「カッコつけてる」って事? ―――っは。笑えねェな。



          
    俺は、不良ですか。


    世間は…俺のことを何だと思っているのだろう…
    俺は、何を言われても傷つかない人間だと思われている?

    何も考えずに、ただ世間に逆らっているだけの人間…だと思われている?


    とっととこの世から消えても惜しくない、存在 って?




     …俺だって…

     苦しくて苦しくて、どうしようもない時くらい…ある。

     1人が辛い夜だって、…毎日のように、訪れる。







          愛して欲しい、って、思う時だって





              あるんだよ……







    1人

               
    1人で歩いていたら…
    誰かが俺の後を付けてきて、…背中からナイフで、俺の心臓を刺すかもしれない。
    1人で歩いていたら…
    また男の集団に囲まれ、蹴られ襲われ、…体に傷を残されるかもしれない。


    平気かって? 馬鹿を言うな。

         
     怖いよ―――。




       つ、と、痩せた頬に涙が流れる。  …熱が無くて、冷たい…冷たい…
       人間のものと思えない…冷たい、涙。




     どんなに泣いても仕方ないよ

           俺は、ヒトリだから





  家に帰っても…どうせ誰もいないのに。…何故俺は帰ってきたんだろう?
  そう心に問いながら、答えの返ってこない静かなアパートの階段を上がり、
  そのまま無心で家の鍵を開け、ローファーを脱ぎ…玄関の電気をつける。
  玄関口では、写真の中の小さな俺と兄さんが…笑ってるだけ。


   母親は何年も前に、兄と俺の2人を残して消えた。
   父親はそのもっとずっと前に失踪。…離婚もしねェで消えたんだってさ。

   もっともそれは兄の父親のことで、実際の俺の父親は…
   母親が遊びでやった男だった。結婚もしてない、その辺の男。
   しかもそれが十数人いたらしく…

   不明だという。         
           

   だから、橘ッてのは…母方の名字。
   俺を捨てた…俺なんかを産みやがった…サイテーな女の、名字。



   何度も思った。  殺したい。殺したい、殺したい。

   クズ共全て死ねば良い。


           
  
 「兄さん…タダイマ…」



       情けない声。今の、俺の声か? …ダサいな。   
       果てしない涙と自嘲が、ただただ続く…。


       1度ベッドに伏したら、急に涙が止まらなくなった。
       人前じゃ泣けないから。いつもこうやって、部屋で1人っきりで、泣く。
       声を出さないで、一生懸命こらえて……泣く。

       それが1番良い。 1番、私らしい。


       何時間も、何時間も……





    夕食を作る気になれなかった。どうせ食う気もなかった。
    シャワーだけ浴びて、着替えて…寝よう。

    セーフクの水色のワイシャツを脱いで下着を外すと、
    肩と…胸の少し下のアザと…その他の無数の傷が露わになった…

    後ろを向けば、背中に…大きな、切り傷。



    母親に付けられた傷。

    殺されかけた、傷……



    永遠に俺を愛せない ―――醜い、傷…



    冷たい血の通う、身体。
    誰の血かも…どんな親の血かも分からない…
    そういう血の流れる、俺の身体。




       誰がそんな俺を

             愛してなどくれるだろう





        何故…   生きている?







    学校にいた時間のあの喧騒さが嘘のように、
    1人の部屋では全てが静かすぎて、自分が本当に存在しているのか…
    生きているのか死んでいるのかさえも怪しいと思えた。

    死んでいるかも知れないね。
    そう鏡の自分に言いながら、浴室に入る。

    シャワーの湯さえ、冷たく感じた。
    無心のまますぐにベッドに潜り込み、目を閉じた。






             
 サビシイヨ ニイサ…ン    


    現れっこない、  甘い夢を、求めて―――…