此の色を綺麗と言う、君の
感性が
きっとおかしいんじゃないのか、って……
何度も思っては、 独りになる度に泣いた
君の声が、脳から消えなかった――――――…
【005:Find the moon behind darkening clouds】
界羅と宇羅も、ヘヴンで罪を犯した警察だった。
―――否、正確に言うと…「警察の子」だった。
界羅は正式にヘヴンでの「蜂」だったが、宇羅はまだ15歳程度だったはず。
当然未だ職などには就いていなかったし、子供だ…。
2人は同時に此のアングラへ堕とされて来た。
界羅は俺の元に就きながら、常に最優先で妹の宇羅を護ってきた。
唯一の肉親であり、唯一互いを護れる存在だと…あの冷静な男が切なげに言うのを今でも憶えている。
…そして界羅は、宇羅が18になったら、俺の下で蜂の団員にして欲しい…と。予てから俺に頼んでいた。
…当然俺は反対した。
宇羅はまず性格的に蜂に向かない…
優しすぎる。そして臆病で、涙脆い。
アングラの蜂(アンダービーと云う)は、ヘヴンの蜂(ガヴァメントビーと云う)とはまるで職種が違う。
界羅・宇羅、2人の親がヘヴンにてどの様な課の蜂を務めていたかは知らないが、
アングラの蜂は―――「暗殺許可警察組織」と呼ばれる地下世界の汚い仕事だ。
此の仕事はあまりにも酷すぎる…断じて“女の子”のする仕事とは言えない。
だが宇羅は、界羅の側にいられる此の仕事を強く望んだ。
印象的だったのは台詞。「自身を銃に換える覚悟だってある」と言った…。
…彼女にとっては、唯一の肉親である兄と共に居る事が何よりもの幸せなのだと…
確かに俺に告げた。―――そして俺は、長い時間を掛けて宇羅の組織入りを承諾した。
だがそれでも、やはり俺は… 女は闘わせるものじゃないと… そう、思う。
それを言うとカズに「本当にお前はフェミニストだな」と笑われるのだが。
―――!
「………」
考え事をしながら動かしていた足を止める。
どれくらい走っていただろうか。…軽く、20分?
呼吸を潜めて、耳を凝らした。…風の無いはずの大地で、風が止まった感覚。
気のせいか? 今……叫び声が、
「―――………」
……いや、気のせいではない…
俺は腰のベルトの刀に手を当て、足を開いて身構えた。耳を凝らす。
……少し遠くだったが…確かに声がした。
それも、女の声だった。
男の叫び声だったら、ヤクに犯された愚者が発狂したものだと…思うだろうが。
女の叫びとなると、それは違う。
それは十中八九―――……
「あぁあああーッッ!!」
「!!!!」
正面の方角―――!
俺は構えたまま真っ直ぐに音もなく走り出した…
やはり女の悲鳴だった。否、悲鳴と言うよりも咆哮に聞こえさえした。
こういう女の声を知っている。
こういう場面の叫び方を知っている。
―――強淫だ。 クソが…、この腐った世界めが…!!!
「っ、!」
しかし走った先が、厚い壁で行き止まる。
こっちではなかったか…!何処だ。何処で叫んだ? 何処だ…!!!
ギリ、と奥歯を咬むと、頭に血が上ったのが自分で分かる。
落ち着け―――、早く救出するんだ… 早く見つけろ!
確かにフェミニストかもな。
だが、襲われている女が居ると分かっていて放っておける方がどうかしてるだろ…!!!
「…ろ!、…し……がれ… …!」
少し離れた場所から、男が怒鳴り散らしている声がした。それも数人…!
やはりだ、俺は確信して来た道を戻りもう1度声の方へと走る。
“アングラは腐った世界だ”。
そう言うのは、生まれながらにしてヘヴンに住み常に此の世界を見下す御上の連中。
…俺は断じて其れに顔を縦に振りたいとは思わなかった。…昔は、逆だったが。
だが今でも、此の世界を“腐った”と思う唯一のことがある。
其れがこの状況だ。…女が数歩でも外を出歩けば、
直ぐに蜘蛛共によって強淫に遭い、直ぐさま殺されるという―――事実。
此の世界の女は皆、悲運に泣く可哀想な奴らばかり…。
アレだ…!!
暗い空き捨て庫の前に、不穏な固まりを見つけた。
明らかに蜘蛛であろう男達の群の中に、暗い紅色の長髪が揺れたのを確認する…!
―――あまりにも珍かな色であって、目から離れなかった。
そしてその髪が女の物であろうと、一瞬にて判断する。…
状況判断や様子を見るということも一切せずに、 右手を腰の刀に掛けた瞬間だった―――……
「―――、!?」
ドサドサッ…と、 目の前の蜘蛛の群の1カ所が、 開けた。
…… 一気に3人の男達が倒れる。
何 だ …!?
「ああぁっ!」
「―――!」
ドスッ…!!と、 肉が貫かれる音が耳に 鈍く響く。
だが其の刃先を 美しい、 と… 思った。
「ハァッ……ハァッ…」
「クソがぁああああ!!!!」
「っ」
ザンッ!!と、今度は目の前で、真っ白な月が一閃する。
それは、クイーンの下では絶対に見ることに出来ない…
ヘヴンで拝む、夜の三日月と相違い無い―――
「あ゛ッ…ぁァアアぁあ……ッ…」
「ア、アマがぁッ!!」
それは、優雅とも華麗とも云えよう腕さばき…
女の身には少々不似合いなほど正確な様であり、
そしてそれとは真逆に、恐ろしい程の見幕を宿している。
「ハッ…ハッ……、ハァッ…」
肩で呼吸をしながら、もう1度女は“其れ”を構えた。
左肩から流血、右腕に打撲の跡。
両足も全体的に紫色に腫れている。…足先は裸足。
顔は蒼白、唇も青い―――… 長い前髪から瞳は伺えぬ状態。
それでも女はその白月を強く、向ける。
真っ白な 美しい白銀の刀を、 構えた……。
「―――、無礼(なめ)るな…」
なんだ… 此の女… !?
否、よく見ろ。身体付きが女性と言うよりはまだ 少女じゃないか…
よくよく見やると、ついさっき目の前で倒れた3人より以前に、
既にやられたと見られる蜘蛛の男が2人…数歩離れた所で地に伏していた。
アレもあの少女が―――やったというのか…!?
蜘蛛共は手に銃を構えたまま震えていた。そして野良犬のように吠えている。
そのワリには引き金を引けない。…あの少女の殺気の方があの場を支配しているからだ…
もし一瞬たりとも、引き金を引く仕草を見せてみよう。
それよりも先にあの少女の刀がその身を貫くとしか思えない―――……
一体何が起こっているのか理解するのに時間が掛かった。
…あの蜘蛛共は、強淫を目的にあの女を囲っていたことに違いはないだろう、
だがあの少女がそれに応じる腕を持ち合わせていた故に…
目的が攻撃から防御に変わったのか。
だとしたら、あの少女を止めて、蜘蛛共を制…
「!!」
ゴホッ…、と、少女が強く咳き込んだ。
胸元を押さえた瞬間に、膝が崩れる。
マズイ…!
「っ…や、やれェエエ!!!!」
蜘蛛もそれなりの場を踏んだ手練れだったようだ。
少女のテリトリーから殺気が逸れた瞬間を一瞬たりとも見逃さない…
俺は強く地面を蹴った。 クソッ… 間に合え!!!!!
ズザザァッ―――!!!と、湿った地面には似合わぬ摩擦音が、建物に反響した。
空き捨て庫の錆びたシャッターが、ビリビリとその音を吸収している。
足には自信があった。約10mあった、俺と、此の現場までの距離を2秒で詰める。
そして少女の身体が地面に激突する前に、その間に腕を入れ抱き留め、
少女手にあった白銀の刀を逆の手で握った。
そのまま其奴を構え、…地面を擦った摩擦音が消えるのを待ってから、蜘蛛達をきつく見上げる…
何が起こったのか判断しかねた蜘蛛達は、
引き金を半分引いた状態で、その汚い目を見開いていた。
しん…と 殺気がぶつかり合い、 辺りが沈む。
「……ハ…、蜂だ!」
「―――っ…」
ガチャッ、と、1人の蜘蛛の銃が俺の顔面に口を向けてきた。
…少女の身体を抱えたまま、俺はゆっくりとそっちを見やる。
―――良い刀だ。驚く程に軽いが、刃の鋭さと角度、波紋の見目も美しい。
柄は手に馴染み難い細さだが… 逆手に構えたその刀を、ユラリと…その方に向ける。
「…6番街19地区リーダー、浅霧秀兎だ…」
静かに、俺は低い声でそう唸った。
ビリビリと… 蜘蛛達が電流に打たれたように強ばった表情をする。
「ッ…!!浅霧…秀兎、だと……!?」
「こ…殺さずの鬼か……!!」
ジャリッ、と、蜘蛛達が一斉に足を擦らせて一歩退いた。
鉄屑と硝子の破片が連続し、其れはざわめきの様にも聞こえる。
「大人しく退けば見逃してやろう、まだお前達は御上からも暗殺命令は下されていない…」
「っ……ひ、退けッ!」
「オイ、でも」
「良いから退け!!」
降伏を意味する態度で、背を向けて引いてゆく。
……聞き分けの良い連中で助かった。俺は鼻で細く溜息を付く。
だが俺の名を知っていると言うことは、アレは間違えなく流れ者ではなく
6番街19地区に長く点在して居るであろう蜘蛛だ…
一体どこの組織だったか… クソ。
全員の背が消えたのを確認して、俺は左腕の中の少女を確認した。
驚く程にすっぽりと俺の左腕の中に肩が収まっていて、少女の身体の細さに驚いた。
…ゼェ、ゼェ、と…苦しそうな呼吸音が耳に届く。 微かに逃げ出そうとしている抵抗の手を感じた。
「敵じゃない、安心しろ」
「…ハァ…ッ」
「大丈夫か、」
「――、ハァ、…は、ァ、……ゲホッ…」
「…しっかりしろ…!」
直ぐに判断した。 …この女、ヘヴンの人間だ…。
それも、まだアングラに降りてきたばかりの…。この呼吸の仕方は間違えない。
この下の世界の空気の淀み具合に身体が付いてこれず、拒否反応を起こしていた。
―――しかしこの全身の怪我は一体…
脚は血みどろで、裸足だった。…足の裏の皮がむけて、また無惨に腫れている。
「しっかりしろ、意識を保て、」
「…し、…、な、ッ…ゲホッ…!!」
「ゆっくり、浅めに口で呼吸しろ」
俺は右手から1枚、ハンカチを取り出した。
それを女の鼻と口に当て、マスクと同じ効果を与える。
…ちらりと、女が薄く目を開けた。
……気のせいか、左右目の色が…違うように見えた。
すぐに女は目を閉じ、刹那、腕がダラリと地面の方に流れ全身からも力が抜けてしまう…
気を失ったか……
このまま放置すれば、確実にこの女は命を落とすことになる…。
ましてやアングラの者でなく、ヘヴンから来た人間。…放置するわけにもいくまい。
少女の身体を支え直すと、俺は右手の刀に目を向けた。
―――真っ白な鞘、白銀の刀…。
美しい 良質の刀だ。
まさか此の時代、此の下の世界で自分以外の、
「刀」などという武器を所持する人間に出くわすとは思わなかった…。
俺は改めてその美しい刀をじっと見つめた。
しかし何故こんな少女がこのような…
「!」
この鍔…!!
「―――」
バッ、と 俺は、左腕の中の目を閉じている少女を鋭く凝視した。
……この女、何者だ…!