自分を不幸と思った事は無かった
…比較対象さえもが無かったから
だけど、君と出会って幸せだと云う事だけは、
感情に乏しい此の心でも、きちんと理解したんだよ―――…
【003:So your tears will no longer fall】
アングラには、街と地区という区切りが付けられていた。
それは御上が勝手にラインを引き定めたモノであって、利用するのは俺達蜂だけ。
元よりこのアングラで生きている奴らは、逆にそんな区切りは気にもしていないのが事実だった。
このSOLDDIA(ソルディア)という大地には街は1番街から13番街まで。
そしてその各街に、1から19までの地区がある。
1番街の1地区から、13番街の19地区まで。
それぞれに13人構成の蜂と言う組織が存在している。
単純計算 13街×13人×19地区 = 3211人
この下の世界、SOLDDIAという大地にだけでもそれだけの蜂が点在しているという訳だ。
にも関わらずだ…
俺がリーダーを務める6番街19地区、それはまた、中でも治安の悪い地区だった…
どれだけ貧乏くじだ。いや、くじなどではないと分かっている。メンバーを見れば一目瞭然だ。
正直、SOLDDIA6番街19地区の蜂には 並大抵の“尋常”が存在しない。
ドウン!!と、重たい銃の発砲音が聞こえた。
この独特の響きは―――
「カズか」
第6中央塔を視界の先に捉えたた矢先に、
その根本の方で騒ぎが起こっているのが目に見える。
次に、ズザッ!という地面を擦る壮大な音、そして人間が鉄屑の地に這い蹲る姿。
…そこにあったのは、自分のチームの蜂団員、 逆原和流(サカハラ カズル)が、
銃を片手に、ヤクで完全に病みきった顔をしている“蜘蛛”相手に応じている姿であった。
敵の数は―――目測、17人。 よくカズ1人で…
「遅ェーんですよ、ヒデさん」
「!」
そしてその横から、蒼銀の髪の生意気な面が俺を睨んだ。
小さな銃をガゥン!!ガゥン!!と、―――矛先も見ずに放つ。
途端に、蜘蛛の若そうな2匹が悲鳴を上げて、真っ赤な花の絵の上に倒れた。
…随分早かったんだな、寝坊小僧は。
「命は取るな、四肢だけ封じろ」
「誰に言ってるんスか」
「お前だ勇午」
「ハッ、相変わらず甘いなヒデは!」
「んなだから黒綺のヤローに馬鹿にされんだよ」
「命令だ」
「「了解、」」
敵陣の中央に割り込み、勇午・カズ・俺の3人は互いに背を付けた。
一瞬――― 時が止まったかの様な冷静さが空気を包む。
各々の武器を構え、残り13人程度の蜘蛛をそれぞれ睨んだ。
何奴も此奴も薬中独特の青白い、痩けた顔をしている。
歯に脂が溜まり、溶けていて、声もおかしい。
目の奥の瞳孔は… 狂ったように開ききっている。―――困った物だ。
「御上の集り虫の分際がよォ…」
蜘蛛の1人がそう呟いた。
…ゆっくりと俺は、左の腰から静かなる怒りを抜く…
其れは光の無い此の下の世界によく似合う様な、暗闇の色。
俺の、化身とも言えよう “刀”―――。
「!!、漆黒の…刀……!」
「コイツ―――まさか…」
ああ、そのまさかだ。…とは、口に出しては言わない。
コイツら19地区の蜘蛛じゃねェな…何処から流れてきたのか。
「浅霧秀兎だ…間違えねェ…!!」
「あの…“殺さずの鬼”か…!」
「オイ、殺せ」
「そうだ、殺せ……コイツの首持っていきゃ…」
「ヒヒッ……」
ナメられてますぜ、ヒデさん、と…勇午が背中越しに笑う。
ああそーか、と俺は1度、胸ポケットに手を忍ばせた。
1本煙草を抜き取り、口にくわえる―――…
ジッポを捜し素早く火を点すと、俺の右手が静かに俺の“精神”に応えた。
「楽に死ねると思うな、お前等」
何を、と… 連中がビリビリと殺気を中央に向ける。
其の風は俺にとっては、ただの餓鬼の遠吠えにしか聞こえない。
死の目を見る意味など持ちもしない、 哀しい叫び…
「 ―――生きて償え 」
「っるせェええエエエ!!!!!」
ガジャッ!!!!と、一気に蜘蛛達の手にあった銃が、俺らに向かった。
その刹那を見逃さない。
俺等は3人同時に、一気に3方向へと走り出した―――
「―――なっ……!!!」
…俺達は知っている。
何故自分達が、SOLDIA6番街19地区に居るのかを。
…俺は知っている。
俺達の本本当にすべき事が、俺達の腕にはある事を。
知っている――― 恐れる物など、 皆無だと。
ガッ!!
1匹目の左肩に鞘を当て、そのまま足を掛け地面に転ばせ両脛の筋を横に斬りつけた。
そしてそのまま身体に回転を加え、次の蜘蛛の懐に飛び込むようにして間合いを詰める。
速さには自信があった。銃と渡り合える程の小回りにも、其れを翻す身のこなしにも。
隣でガゥン!!と、勇午が素早く放つリボルバーの独特の発砲音、
その反対側で、ドウン!!という、カズの44AMP(オートマグ)の重たい発砲音。
返り血が赤い花弁の様に頬に張り付き、煙草をくわえる口が斜め上に釣り上がった。
「無礼(なめ)るな」
ヒィッ…と、蜘蛛達の悲鳴と拒絶の雄叫びが響く。
放たれる銃弾を刃で受け止め逆に間合いを詰めてやると、
打って変わって蜘蛛は、白目を充血させるほど眼球を見開き叫び声を上げた……
最後の一匹は、右肩を貫いて沈ませる。
其れを見送ってから、背中に感じる2人の仲間の安全をしっかりと目で確認した。
刀に付いた血を払い、俺は静かに鞘に闘心を沈ませた……
「…14,15,16,17…匹… やっぱりな」
「どうした」
先ほどより空気の匂いに血の味が増した。
風の無い大地に、錆びた人工風が鼻を掠めて通り過ぎてゆく…
もう慣れた物だが、やはり「好きだ」とは到底思えないものだ。
―――その逆に、勇午は此の匂いを何とも感じないと言っていたな…。
…四肢の内半分を機能不可の状態にされた蜘蛛の数は、俺の目測通り17匹だった。
束のように転がる身体が5つ、未だしっかりと意識を保ち這い蹲る身体が4つ、
赤黒い血にまみれ痙攣を起こしている身体が数体、他…命はあるものの気絶している身体が数体。
…だがカズがそれを確認して「チ、」と舌打ちをした。
「…1匹取り逃した…18匹いたはずだ」
「……顔は」
「何となくだが、分かっている」
「……そうか」
それなら引き続き、この巣の件はお前に頼む。
俺は蜘蛛達には視線を下ろさないままカズの顔だけを見、そう告げた。
任せろ、と…体格の良い胸を張って友は笑む。
逆原和流(サカハラ カズル)。黄土色の太い髪、エラの張った強い顔の男だ。
185センチという長身で、ガタイはウチの団員で最も恵まれている。
そして何よりも―――俺がメンバーの中で最も、信頼している男だった…。
そもそもの出会いは、ヘヴンに居た頃。
俺のやり方に強く賛意を示してきた男で、進んで俺と共にこのアングラに降りてきた…
別に、勇午や葉哉と違って罪を抱えている男じゃない。
何故俺に付いてきた?
そう問えば、「お前の人間性に惚れたからだ」と、ただ俺のパートナーとしての存在を示してくれる。
…腕も立つ、これ以上ない “親友”。
俺のやり方は甘い、と…そう唾を飛ばす奴が多い。先ほど勇午にも言われたが、
同じチーム内にはそれ以上に俺を気に入らなく思っている男もいるくらいだ…。
…過去御上からも何度か警告を受けている。
それでも俺は、俺のスタンスを変える気はなかった。
“ 殺さない ”
それが、胸に決めた俺の芯。
―――例えヤクに染まりこの下の世界で堕ちるところまで堕ちた人間だろうと、
上の世界で太陽を浴び呼吸する連中と、何も変わらない…“人間”なのだと。
俺はそう思っている。
ヒトは誰かに殺される物ではない…
そして俺に付いた名がコレだ。
“ 殺さずの鬼 ”
浅霧秀兎は蜘蛛の命は取らない。
―――だが逆に蜘蛛にとっては、それがどれだけ恐ろしいか。
両手両足をもぐ事はある、生きたまま苦しみを与える剣技も持ち合わせている。
殺してくれた方が幸せだと言われるほどの傷を負わせる腕も、持っている。
だが殺さない。そのまま御上に引き渡し、生きて罪を償わせる―――。
「永遠に牢の中のならば殺せ」と、 何度…嘆く蜘蛛がいたか。
それでも殺さなかった。
死ねば、必ず何処かに悲しむ人間が居るのだと…
生きることに意味があるのだと ―――俺は知っているから。
「で、どーすんだよコレ。…パルプまで運ぶんすか」
「…いや、こんなに連れ帰ってもまた面倒が起きるだけだ…御上に連絡つけてそのままヘヴンに連行させる」
「そいつァー助かる」
こんなムセェの17匹もパルプに持ち帰れねェよ、と、
勇午は大きく欠伸をしながら皮肉たっぷりに蜘蛛を見下ろした。
アレだけの戦闘をして全く持って緊張感がない。
これでまだ齢20と言っても誰も信じないだろう…。
「カズ、お前から報告してくれ」
「俺が?」
「ああ…此処からならウィグもヘヴンに繋がる、監察報告も入れて御上に告げろ」
「…了解」
「それから勇午、オマ」
「テメェはら俺達をヒトと思っちゃいねぇんだ…!!!」
―――。
血と泥にまみれた顔が、こちらに向かって叫んだ。
其れは額から流れ瞼と頬を通り模様付いていて、…赤い涙の様に見えた。
哀れに思う気持ちも、手を差し伸べる情けも、全て掻き消すような残酷な涙…。
…冷たい地べたに這い蹲り瞳孔の開いた目で、1人の蜘蛛が俺を睨んでいる。
まだ若い蜘蛛だった。…恐らくは勇午とそんなに変わらない…
「上に生まれた…?下に生まれた……?それだけで何故こんなにも差がある…!!!」
「………」
「何故こんなにも違う扱いを受ける!!!」
よくいる。……敗北の瞬間に、訴え嘆く者――― 珍しくはない。
ジャリ、と、勇午がコンクリートの小石を擦って1歩前に出てきた。
だが俺はそれを右手で制し、ゆっくりと自ら…若い蜘蛛の前に立ってやる。
罵倒でも批判でも何でも受けよう。それで此奴の気が少しでも休むのなら、それで良い…
「…上でも下でも、マトモに生きている奴は生きる、不正を行えば死ぬ、…それは同じだ」
「いや違う!!!不正を行えば上も下も同じ!?笑わせるな政府の集り虫が!!」
ペッ、と、足下ギリギリにまで唾を飛ばされた。
本当なら俺の靴に、 …いや本来ならばきっと俺の顔に、飛ばしたかったのだろうが。
それを見て後ろからカズが、「オイテメェ」と、躍起になり俺の前に立とうとしたが、
また俺はそれを右手で制した…。
「上の不正と下の不正は意味が違う…上の不正など、強欲で傲慢な思考が生む愚かな行いだろう…!?」
「貴様らの不正も充分すぎる程に愚かな行為だ」
「ふざけるな!!!―――俺らの不正は全て生きるためだ…!! 生きるためだ!!!!」
叫んだ蜘蛛の喉が、ちぎれそうだった。 あがその声は何処にも響きはしない…
ただ虚しく空気を振るわせ数メートルという短い距離でうち消されてゆく。
……それに反応し、共に地べたに横たわっていた他の蜘蛛達は、
その言葉に協賛の意を込めてギロリと俺を睨み上げてきた。
だらり…と、額からまた新しい一筋の涙が頬まで流れる。
「自らの血肉を犠牲に金を得て、俺達は必至に生きてんだよ…テメェらみてェに政府から金銀貰って生きてんじゃねぇんだよ…!!」
「俺達の金は正当な仕事をしての報酬だ」
「正当!?片腹痛いな!!!人殺しが正当か!!!」
「―――殺していない」
「ふざけるな!!貴様らがいつ、正当な仕事をしたって!?」
「…………」
「ヘヴンのテメェらに此の意味が分かるか!!同じ此のアングラで生きているような面しやがって…!!」
瞳孔の開いた、狂ったような表情は ―――確かに、下の者にしかあり得ぬ、独特の怒りと生態を物語っている。
上の者である人間を、下の人間を取り締まる蜂を、仇として憎悪の固まりとしてしか見ぬ―――…
「所詮テメェらは政府の飼い虫、俺らの事などヒトと思ッ」
ガゥン!!!!!!
「―――………」
ビィィン…、と、鼓膜が痛く小さな叫び声を上げる。
…風が抜ける音がした。 空気に花弁が舞う。
高気圧も低気圧も感じることの出来ない、草も花も咲かない…
クイーンという鉄板の下だというのに。
「……勇午、」
「五月蠅ェのは嫌いなんです。すいやせんね」
右手のリボルバーから、薄く煙が揺らいだ…。
ドロリ…と、飛ばされた足下の唾にまで、黒くなった血が流れてきた。
―――ヤクにまみれた独特の血の色だった……
「自分を不幸と思ってる馬鹿が1番嫌ェだ。いっしょけんめー生きてます、って自己主張ばっかだ」
「………」
「主張だけして悲劇ぶって、自分を美化してやがる。不正も許されると思ってる。…胸くそ悪ィ」
「…勇午、」
「上も下も大差ねェんだよバーカ」
吐き捨てて、勇午はすぐに蜘蛛から背を向けた。
………久々に、色のない目をしたな…。
「カズ、」
「―――、あ、ああ」
「…パルプに戻る。死体が混じった、…御上への連絡は俺からしておく。お前は此処見張っておけ」
「……了解…」
「勇午、戻るぞ」
薄目。勇午は長めの前髪をグイと掻き上げながら、俺をじっと見る。
「…飯、まだ食えてねーんですけど」
「残業手伝うなら奢ってやる」
「………」
「行くぞ」
ベシ、と、その蒼銀の頭を後ろから叩くと、
勇午は大人しく俺の背中に付いてきた。
小さく、“すいやせん、ヒデさんの流儀を守れなくて”と 呟いて。