「アナタが浅霧秀兎さんですか?」



「――――――、?」






刀の手入れを終え、鞘に其の冷たい身を眠らせたのと同時に…
天から声が降り注いだ。太陽の光と同じ色の髪をしている女性だった。


白い煉瓦に、名は知らぬが…若緑色の葉と深緋(コキヒ)色の花を這わせる、
綺麗な日溜まり場を知っている。春には小鳥が囀り、遠くから涼しい風も流れてくる。
見た目だけならまるで何処か御伽の国の城庭の様な風景。
人気も無く静かで、俺の気に入りの休憩場だった。
13歳から早くも7年、ずっとヘビースモーカーだが此処でだけは其れも治まる…。

今日は小道具だけを持ち込み、刀の手入れの場として此処を利用していた。
…絵にはまるで似合わないが、心が静まるという理由では最適だと思っている。
此までも1度だって其の現場を誰かに邪魔された事は無い。



―――が、 …人工的太陽が降り注ぎ、俺は、豆鉄砲を喰らった鳩の状態だ。










 MARIDDIA 001
 
I decorate with all flowers and collapse










MARDDIA -  AM 13:24
28th April / 2869



年に2,3回ある新規蜂団員の入団式が終わり3週間程が過ぎた―――。

今期のガヴァメントビー新規入団員は、
このMARIDDIA(マリディア)の地区だけで総勢28名。
男子20名の女子8名だったと思う。多いのか少ないのかは知らない。

面子には政府の学校を出てきた者もいれば、突如才能を買われ入団した者もいる。
そして俺のように―――…特別に政治幹部員にコネを持ち、推薦入団した奴も。
皆経路は様々だが、どんな扱いを受けて入団しようとも全員が平等的な新人の扱いをされる。
例え年齢が18歳と、30歳の新人であろうとも。同期は同期扱い。
まぁ、境遇・年齢は違えども… 全員が「蜂」に誇りを持った新人であるのだろうと、俺は思う。

その真新しい、水浅葱色の綺麗なスーツにもようやく慣れ、
新人らしくネクタイもきちんと首元まで締めていた此の毎日。
各々違う部隊に投入され、自分の上司となる者に仕事を習う日々…。
自分は決して巫山戯た性格では無いと思っているが、
……さほど生真面目でない事も、自覚している。

…早くも蜂の生活が、窮屈になってきた頃だった。



「―――……」



誰だろうか。 


…聞き覚えの無い女性の声に一瞬眉をひそめてしまったが、
もし其の影が自分直属の上官であったら新人としてこの上ない無礼に成りかねん…。
後々で大きな…否、面倒な事になると思った。
即座に刀を腰のベルトに収め、俺は音も無く立ち上がる。


…対し白いコンクリの壁の上に座り此方を見下ろしている女性は、
女性用蜂団員の薄桜色のスーツを着用していて、
確かに俺と同じ「ヘヴンの蜂」だ…という事だけが認識できた。
逆光で少し陰っている顔は未だ俺を見たまま動かない。
しかし… 若そうだな。 はて、同期か?……こんな少女はいただろうか…。


「………」

「ああ、いきなりすみません」

「…いいえ」

「人違いでしたか?」

「…いいえ。俺で合ってますよ」

「やはりそうでしたか」


姿勢を崩さないまま少女はニコリと微笑み、上品に俺に礼をした。
…だが礼をされたとて、相手は壁の上。…俺には頭の頂点さえも見えやしない。
逆に此方はどう対応して良いか…少し迷ったが、兎に角礼をし返しておく。


「聞いていた通りのお方でしたから、つい声を掛けてしまいました。すみません」

「………」



随分と…綺麗な敬語を使う女性だと思った。
…しかし普通上官は、自分より立場が下の者に敬語など使わないと思うのだが。
そうなると彼女はやはり、同期団員だろうか。
今期ヘヴンの蜂として入団したばかりの新人である俺に、部下はいないからな。


「……えーと…」


とりあえずは自分の上司では無いし、自分の所属チームの同期でも無さそうだ。
…どちら様ですか、と訊く事は果たして無礼だろうか。向こうは俺を知ってい…
ん?イヤ待て、「浅霧秀兎さんですか?」と訊いてきたんだったな…
しかも今「聞いたとおりのお方」と言った。となると向こうも俺を知らない?

……誰だ?


「…お会いした事が……」

「いいえ」



無いか。 返答を得て少しホッとした。
人の顔と名前は、あまり忘れない方だから… ましてや女性だ。
誰でしたっけ?などとは容易には訊けないし、無礼も甚だしい。


「私の部下に、逆原和流という者がおります。アナタと同じ今期の新加入団員です」

「―――、ああ、カズ…」


「憶えておいでですか」

「そりゃあ。入団式で初めて会った奴ですが、もう何度か飯だのよく付き合ってるんで」



知った名前を彼女の口から聞き、思わず頷いてしまう。
いや、これと言って何も彼女についての情報は分かっていないのだが…。


「カズの上司の方ですか」

「はい」

「……俺に、何か?」

「お会いしてみたかったのです」

「………」



俺に? 
よく意味が分からず、俺は首の後に右手を回した。
痒かったわけでもないが、余った指が脊髄を掻く。


「逆原がよく、アナタの事を話してくれます」

「―――…へぇ」

「同期入団員に、刀を使う者がいると。とても誠実で真面目な方だとお聞きしました」

「…はは、俺がですか」

「戦闘能力もあり、今期入団員で最も期待の新人だと噂を耳にします」

「それは、どうも」


世辞だか社交辞令だか分からないが、彼女の表情にまるで裏が無いので、
俺は素直に頭を垂れ礼を言った。そんな噂が流れている事さえ俺は知らないのだが。

少女はそこでようやく、高い塀から少しだけ跳躍し、
ザッ…!と1度だけ音と埃を立てて俺の3m程前方に着地してくる。
とても静かな其れだったので、あ、ただ者じゃねェんだな、と感心をした。


「本当に刀を使うのですね」


逆光だった太陽が、今度は少女の真上から差している。
ずっと暗かった其の顔がハッキリと俺の目に映った。
太陽色の髪の毛の可愛らしい女性だったが―――…とても、信じ難かった。


 ………この少女が… 上、司?


「…刀の手入れしてたから、俺を浅霧だと思ったんですか」

「はい。…今の時代、刀を使う者は滅多にいませんからね」


「…そうですか?…俺は結構思い当たりますけどね。柚木上さんとか蘭堂さんとか」

「そのお2人はどちらも、アナタの師ではありませんか」

「―――、」



…よく御存知で。俺は唇を窄め驚いた表情をしてしまった。
それを見て少女は、屈託の無い、だがとても上品な笑顔を俺に見せる。


「すみません。実はそのお2人からもアナタの事を聞いたことがありまして」

「……其れは…良い噂、ですか」

「勿論ですよ」


…そ、ならいっか。貶されてるならあのオッサン共目が、と思うのだが。
俺は少し顔を引きつらせながら、人権も何もあったもんじゃねェな、と
2人の師である男達の顔を思い浮かべた。



「…アナタは、茜居の家の者だったそうですね」

「……両親がね」

「ええ。柚木上京も蘭堂耀紫も、元は茜居の家の者でしょう」

「そうらしいですね」

「現在ヘヴンの蜂には、アナタを含め5名の刀使いがいる。…全員、素晴らしい腕です」

「―――……」


この人は何が言いたいのだろうか。
次第に俺は、雲行きが怪しくなるのを感じて1度目を閉じた。
頭の真上に広がる大空の天気は良い。目の前の太陽色の髪の毛も、綺麗だ。
…だが笑顔の裏に見えない何か隠し持っているのかもしれない。
それとも、最初からこの笑顔が罠か何かなのだろうか…


「すみません。何も警戒しなくて良いですよ。何も隠していませんから」

「……、…人の心でも読めるんですか、貴女」

「まさか。少し上層部の人脈に詳しいだけですよ」

「……」

「柚木上京にも蘭堂耀紫にも、頻繁にお会いします」



2人は歳が30を越える実力者…ガヴァメントビーでも団長クラスの更に総括官だ。
其れと“頻繁に”会う、だと?…この少女が?…弟子である俺でさえもう半年以上は会っていないぞ。

疑うわけではなかったが、自然と俺は怪訝な目をせざるを得なくなる。
…が、また、少女の綺麗な笑顔は真っ直ぐに俺を見た。
…猫のような綺麗な月の弧を描いた瞼。
太陽の如く眩しい色をした、短い髪の毛。

―――…一体、


「失礼では無いと思ってお訊きします」

「…はい、何ですか?」

「貴女は…お幾つですか」

「……」

「俺よりは若いでしょう?」

「よく解りましたね」


クス、と、白い右手を口元に当て、品のある花の様な笑顔を零す。
そりゃ分かるだろう… 俺とて未だ二十歳だが、今目の前で綺麗な敬語を話す少女は
どう見てもまだ、若いを通り越して幼い。―――無理に大人びいた振りをしているのもバレバレだ。


「17です」


……17…


「・・・・・・逆原和流の・・・」

「ええ、上官です」

「……アイツ、俺と同じ歳だよな…」

「ええ、そうですね」

「……蜂になって、何年ですか」

「6年と3ヶ月です」

「―――・・・」



7年目 だと?
―――17歳で7年目?つまり11歳で蜂になったと?……なんて娘だ。
思わず俺は固唾を呑み、目の前に立つ少女に威圧感さえ憶える。
だが相変わらず其の綺麗な笑顔は、崩れようとも化けようともしない。
まるで狐の化かし合いにでも参加させられている気分だ。
年下の少女に何をこんなにも警戒しているのだろうか俺は…


「柚木上京さん、蘭堂耀紫さん、そして逆原和流。…彼等の事も含めて…アナタに1つだけ、お伝えしたい事が」

「……何ですか」

「私は此の3人の事はとても好きです。柚木上さんも蘭堂さんもお優しいし、逆原もとても良い部下です」

「……ええ」

「―――アナタの戦闘能力の高さは、危険です」



……。
左半身―――刀、に目を向けられ、俺はまた少しだけ警戒をした。
…此の刀は父の形見であり、そして俺の心である。

―――危険と言われ易々と其れを手放せる程 易い代物では無い…。


「…危険?……俺がですか」

「…いいえ。アナタではなくて、アナタの戦闘能力が、です」



ヘヴンの蜂は、下の世界…アンダーグラウンドの蜂と比べると、
人を沈静させる仕事では無くて、人を救護する仕事の方が多い。
アングラに生息する“蜘蛛”という人外非道の者共を相手にする事など無く、
主には政治と、裁判と、囚人管理に被害者援護といったところだ。

故に、我々が所持する“武器”は、「殺人」ではなくて 「保護」の為に用いられる。


  ……だが俺の戦闘能力の高さは、自他共に認められよう… “殺人”向きだ…。


つまり彼女は俺に、
「あまりにも戦闘慣れしていると、“危険人物”扱いされますよ」と言いたいのか。
それとも俺の戦闘能力の高さが、いつか下克上の様に暴走するのが怖れられる、と言いたいのか。

しかし、俺とて其れを分かっている。
だからこそこの力、殺人や下克上に使用しようなど――― 皆目、思ってなどはいない。


 当然、必要があるのならば 殺人も下克上も厭わない気だが。



「俺は、殺戮半のように無駄な惨殺をする様な教育は受けちゃいませんよ…」

「そういう意味ではありませんよ」


ニコ、と… 防御壁を張った俺を宥めるように、少女は笑顔を零す。
……其れは、余裕と言うよりも寛大。
確かに、6年と3ヶ月、蜂という過酷な仕事をやってのけている人間のオーラ。


「……アナタの戦闘能力の高さは、いずれ確実に政府の上層部のお眼鏡に適うでしょう」

「―――…」

「そうなった時にアナタは、有無を言わさずの“喪服送り”となりますよ」

「……喪服送り?」

「…すみません。この言葉は…新入団員はまだ御存知ではありませんよね」



専門用語か何かか…。否、隠語か。
そう分かると、一体どういう意味を込められているのかも分かる気がした。

戦闘を必要とする地獄へ送られ、常に喪服を着て過ごすことになる。 すなわち―――…


「………アングラへ、送られますよ」

「…………」



脅すような口調では無いし、残酷な表情をした訳でもない。
少女は少し哀れみを含んだだけの、相変わらず綺麗な顔だった。

…アングラの蜂の制服は… 黒のスーツに黒のネクタイだと…聞いたことがある。
死人を見送る時も、自身が死ぬ時も、其の喪服を着続けるのだと。
…それに対し俺達の制服は、水浅葱色に薄桜色の美しい春色。

闇の仕事と、光の下での仕事。―――酷い対比だ。


「…戦闘能力の高い優秀なヘヴンの蜂は、アングラの蜂の人員不足が起こると強制的にアングラへ送られる事があります」

「………へぇ」

「特にアナタの様に…抜きん出て優秀な新入団員は、直ぐに幹部の者に目を付けられます」


其れは光栄。…なんて勿論言えないが。
成る程ね、と納得だけはした。確かにあり得ると自身に可能性も感じた。


「悪いことは言いません、あまりその左腰の友に…血を浴びせない方が良いでしょう」

「……だから俺は、不要な殺生はしませんって」

「必要な殺生だとしても、避けた方が良いです」



ピク、と、目元の筋肉が自然に動いた。
……必要な殺生だとしても、避ける?
其れはどういう意味だ。
…助けを求めている人がいたら、例え目の前に其の敵がいようとも…


「………被害者を見殺しにしろ、と?」

「そうです。そうでなければアナタが、“優秀特命者”と銘打たれ、アングラに飛ばされますよ」

「ではどのようにして被害者を護れば良い?」

「敵を気の済むまで暴れさせてやり、沈静した所で取り押さえれば良いだけのことです…」

「…………其れが、ヘヴンの蜂の仕事ですか」

「そうです」


……優秀特命者、ねぇ… と俺は呟いた。
何となくだが聞いたことはあるし知識もあった。
元々戦闘能力や殺生才能のある者は特殊命令を受け、
アンダーグラウンドにての“蜘蛛殺し”を命じられる と。

 つまりは、強制的に“アンダービー”にさせられる、と。


勿論噂だけだし、偉い連中は絶対に此について口を割らない。
関係者のみの話とされているのだと思っていた。だが―――違うのか。

単に、政府がやってる“裏側”って事だったか…。


アンダーグラウンド… 降りたことはないが、酷い世界だと聞く。
太陽が降り注がないのは当然、空気は常に毒素が漂い、
初めアングラに降りた者は必ずと言って良いほど肺に異常を来し、呼吸困難を起こすと。
―――最悪、1週間持たずに死ぬ者も出るという噂もある。

真実だかどうだか…。


「構いませんよ」

「―――…」



心地の良い風が、白い煉瓦造りの壁を…
まるで走り滑るように流れた。
其れは少女の薄桜色のスーツを煽り、少女の綺麗な表情を本物の花の様にする。

…あまりにも上品な其の顔は、あまり“人間”そのものの様には見えなくなった…


「アングラへ行くのが…ですか?」

「柚木上さんも蘭堂さんも、カズも―――…貴女も、俺を心配してそう言ってくれてるとの事ですが」

「……ええ」

「俺は、自分の能力に見合った場所で、自分の能力が正しく使われる場所で“蜂”の仕事が出来れば…何でも良い」

「………」

「ガヴァメントビーだろうが、アンダービーだろうが… 誇りを持って戦えれば、それで良いよ」


例えこの制服が黒く成らざるを得なくなったって。
―――其れが俺に似合いと言うのならば、本望じゃないか。

太陽色の髪の少女は、ぼんやりと俺を見据えた。
視線は、強風でもやってこれば流されてしまいそうな程弱々しく見える。
…俺のような意見を持つ野郎は初めてですか。
……聞こうと思ったが、他に聞きたい事の方が多かったのでやめる。


「貴女は…なんで蜂になったんですか」


「―――……」

「そんな若い内から政府に身を置いてるって事は、政界の家の出ですか?」

「……そんな所です」



成る程、俺以上に特別、と言うわけだ。
俺のように、柚木上さんや蘭堂さんといった政界にて師のコネを持っているのではなく、
家系が既にガヴァメントビーの血… となれば、エスカレーターで英才教育を受けたのではないだろうか。


「成る程。…だからそういう綺麗な敬語、使えるようになるんですかね」

「―――」

「ていうか何で俺にも敬語?…年上と言えど、俺は入団したばっかの新人。貴女は大先輩。…おかしくねェか」

「………分かりませんか」

「何」



彼女は少しだけ…淋しそうにした。
俺の言葉が悪かったのか、それとも… ただ、


 本当に淋しかったのか。


「……12歳で、“上官”になったのです。23歳の新入団員の先輩になりました」

「………」


ああ…成る程、な。
…新人は18歳だろうが30歳だろうが同等に新人。
同時に上官は、遙かに年上だろうが1つ年下であろうが、同じく上官。
上官が部下に命令を下すのは当然であり、部下が上官に敬語を使うのも常識だ―――…


「面白くないでしょう、新人は。…こんな糞餓鬼が上官だなんて」



糞餓鬼。此までとは違う下品な単語が突如出て、俺は何となく分かった。
―――ああ… この少女はとても無理をしている。
言葉にも、態度にも、表情にも、

……その綺麗な笑顔にさえも…


「正しい敬語、清楚な態度、広い視野、大きな人脈に…膨大な知識」

「………」

「…17歳の私が、上官として必要とされるスキルです」


可哀想に、などと言ったら逆に哀れだ。
しかし立派だ、と褒めてやるほどガキでもない。

立ちつくしたままで、また風が吹けば倒れてしまうのではないかと思った。
目の前の少女は、確かにカズの上官であるが…
―――ただ無理を我慢する方法を沢山知っている、可哀想な少女だ。


「凄いな」

「…ありがとう」

「…貴女が俺の上官だったら、俺は絶対に、貴女に敬語なんて使って欲しく無いね」

「―――…そうですか」

「ああ。もっと年相応に…楽しそうに喋って欲しいよ」

「……」

「逆に俺が上官だったら、もっと貴女を自由にしてやりたい」




先程人間のように見えなくなった彼女の笑顔がもし
無理に作られた表情だとするのならば、非常に納得がいく。


…人間のように見えなくて当然だ。



  彼女の本当の笑顔では無いのだから――――――…




「…綺麗なのじゃなくて、大声出して涙目で笑う笑顔をして欲しい」




…しまった。休憩時間とっくに過ぎてるな。
左手の時計を見て、ぎょっとしてしまう。…新人の遅刻ほど印象の悪い物は無い…。
じゃあ、と手短に断りだけを入れ、俺は彼女に背を向けた。
カズの上官って事は、もしかしたらまた縁があるかも知れない。
近い内に簡単に会ったり出来るだろう… そう思ったら、名残惜しさは無かった。

あれ。しまった、肝心な事訊いてなかったな…


「……浅霧さん」

「―――。ヒデ」

「…?」

「ヒデで良いよ。…柚木上さんも蘭堂さんも、カズもそう呼ぶ」

「………そうですか」

「俺は貴女の直属の部下じゃねぇんだ。敬語も要らない」

「―――…」

「それと、貴女の名前は」



太陽色の髪の毛が、風に揺れた。
猫目の綺麗な月弧瞼が上に見開き、此までの上品さとは別な…
可愛らしい顔をした。





 
「…絢道ルリ、…です」




名前も可愛いじゃないか。
その愛らしい微笑みに歯を見せて笑い返し、右手だけを挙げた。


「ルリ。カズに宜しくな。今度飯でも食おう」

「………」

「3人で」

「――――――。うん、」







後に、この少女が11歳で蜂に成り得た詳しい理由を知った。
酷く過酷な環境で育ったのだろう事を思うと、
此のヘヴンという世界の政治が如何におかしな事になっているかを心底実感した。

―――彼女の言葉さえも。


“ …17歳の私が、上官として必要とされるスキルです ”















後に俺は、ヘヴンにて功績を挙げ、見事に“優秀特命者”としての任務を受けることになる。

其の更に2年後、絢道ルリもアングラへ特命を受け、 俺の部下にと任命された―――。















その真の理由を俺が知るのは、また更に数年後である。